日本辺境論読書会 開催後まとめ 3/26編集

日本辺境論読書会 まとめ
28日の日本辺境論読書会に向けて、先日の日本辺境論読書会(何回やってんだ)のまとめを少し編集したものを再アップします。
読書会参加者の方は目を通して頂ければと思います。
学びの心構え
何かを学ぶ理由が、どこから持ってきた綺麗な言葉の人は、長続きしないことが多い。
会社でも、就職理由が明確でやる気に溢れてる人よりも、「本当のところはなんとなく」仕事を選んだ人の方が、会社に長くいて良い仕事をしていたりする。
始める前から自分の物差しで測れてしまっていることは、大した事ではない。
今の日本が自国について語る時、「経済世界第二位の我が国が・・」のように他国との比較でしか語れないのはなぜか。
そもそもこの事を知るまでは、比較で語る事が当たり前のこととして捉えていた自分にも、驚いた。
経済力ランキングがない時代は、どのように自国の事を発言していたのか。
戦後になって、自国の物語(誇り)を失った。
・以下会話外・
戦前の日本の本分は何であったのか?
帝国主義?その考えも輸入?
明治維新の前は?
国という概念がなかった。
藩という目に見える範囲で生きていたので、語る必要がなかった?
では、自分個人の使命のようなものはなかったのか?
藩主に尽くすこと。
結局、自分以外の誰かに従うという考え方で今までずっ~ときたから、自ら発案した使命と言う事を考える機会がなかったのではないか。
・思考終了・
正社員と派遣の差
正社員が良いという社会的な認知があるが、派遣だから仕事が出来ないとかはない。
日本という社会が正社員を求めているのは、正社員となって安定して働いてもらい、社内で長期間教育して優秀な企業戦士を作り上げる事で、日本の高い競争力を生み出してきたからである。
しかし、これからの時代は企業が安定して成長していく事も望めないので、正社員として働くより、給料や安定がなくても、自由な身で仕事を作り出しながら自分のやりたいことをやるほうが合理的かもしれない。
今は、価値観も多様化してるので、やりたい事にチャレンジできる空気が昔に比べたらあるから、良い時代だと思う。
しかし、やりたい事がない人にとっては、長いものにまかれる機会(大企業や公務員になること)が競争により相対的に少なくなっているので、生きにくい社会でもある。
長いものでのほほんと暮らす人達と、自由な人達がバランスよく暮らせる社会が理想か。
機の思想
辺境ゆえに必ず発生する「中心から自分は常に遅れている」という思考があり、それによって生まれる「自分は遅れているから未熟でも良い」という甘えを捨てるために「自分以外のところで生み出されたものに反応して対処する」という辺境姿勢、すなわち「反応」という行動をする時に必ず必要な「起源からの遅れ」を無くすために、反応することそのものを無くそうという考え方(石火之機)を生み出した。
石火之機とは
敵と戦う時に武道で一番避けることは「隙を作らない」こと。
隙は、反応の中の情報入力があって(敵が剣を振り上げた→自分受け止めよう)この→の間に隙がある。相手からの入力を待っていては、次に自分の行動に移るまでの間、
常に隙は生まれるからである。
そこで石火之機では、何か入力があったら「間髪いれずに反応」となる。
これは、反応せずに反応するということによって、相手の行動と一体化して融合するところを目指すもの。
オーケストラで皆が同時に演奏してハーモニーを生み出すように。
相手に対して反応という行動が、遅れ無しに一体化するためには、新しい入力の度の瞬間に新しい自分を生成しなければならない。
それが時間意識の再編に繋がる。
生物の時間感覚は、生きた長さとの比較で決まるので(30歳なら一年は今までの30分の1、5歳なら一年は今までの5分の1に感じる)情報入力のその都度ごとに、新しい自分を創造していくと、その瞬間瞬間は無限の長さに感じる事が出来る。
武道で言えば、その無限の時間感覚の中で、その時に必要な行動を細かく細分化する。
そうすることで技術的に、瞬間瞬間の動作クオリティを追求していくことが出来るようになる。
情報入力と同時に生まれ変われるという事は、事前にそれが起きることを既にわかっていなくては出来ない。
それは自分にとってどの入力が大事なのかを、先駆的にあらかじめ知っている、という能力が必要であり、これが学ぶ力の根源でもある。
これは「何か新しい事を学ぶ前に、自分にとってこれを学ぶことが大事」だとわかる能力である。
なぜかわからないがなんとなく大事だと思う、ということは「まだ自分には無いが必要な何かがそれを学ぶことで得れる」というなんとなくの根拠を得るために必要であり、それが自分を成長へ導く源泉でもある。
成長は、矛盾する二つの物に挟まれたゆらぎの中にいて考える事が、一番の教育になる。
それがかっとうをである。
辺境であるがゆえに起源から遅れているという宿命を持ったものがあるところに到達するためには、二つの矛盾した考え方を両立させることで、成長を引き出すという作用を働かせなければ出来ない。
その二つのものとは、未熟さと悟りという正反対のものである。
悟りの境地というのは、反応しないこと、知らぬ事に飛び込むために先駆的にその事を知っていたこと、という能力。
実は、この二つの事をかっとうさせるという考え方が、あらゆることに対して有効な考え方ではないかという仮説。
二者択一論で選択させるという行為が、恣意的な選択をさせる時政治的にも有効であることは歴史が示しているし、人間が大きく迷う時は、常に「どちらか選んで」という思考に到達しがちである。
その二者択一になった時は、どちらも正解ではない時が多くあり得る。
ここで、話の中で新しく思い浮かんだこと。
これからの考え方の主流になりそうな考え方として、「矛盾する二つを融合させる」という方法があるということ。
矛盾する二つのものを一つに融合して、二つの事よりも良い物を新しく生み出すという考え方が、新しい時代を切り開く鍵だと思った。
問題は、二つをどのように融合するかだ。
この方法を考えていくことが、これからの課題である。
読書会の中で、一つ問題が進んだかもしれないという体験が出来て、とても有意義でした。

スポンサーリンク
広告
広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする