「世間を騒がせてしまったことは間違いないことです。全ては不徳の致すところです」 と、おかしな弁

オウム真理教の高橋容疑者が逮捕された。
逮捕直後のコメントを読んで
「コリャ全く反省していないし、自分が悪いことをしたとも思っていない」
と感じた。
コメント内容は
「世間を騒がせてしまったことは間違いないことです。全ては不徳の致すところです」
ふむ。
一個ずつ見ていく。
「世間を騒がせてしまったことは間違いないことです」
これは、騒がせてしまったことは事実だが、勝手に騒いだだけじゃないの?
という気持ちがある(ような気がする)
すなわち
(騒がせた事実のみ認める)
ということだ。
十分騒がれるに足る事をやったのにおかしいよね。
次。
「全ては不徳の致すところです」
これこれ、この文章がおかしすぎる。
完全に僕の言葉の印象でのみ書いているので、学術的に違うかもしれない。
これを読んで僕が受けた印象は、
「もともとは徳のある私が、一時的な気の迷いでやってしまったことだ。私自身に責任はない(悪いとは思っていない)」
という想いが、心の中にあるのではないだろうか。
結論
誠に、宗教とはやっかいなものである(ん?違う?)

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