脱原発より脱おじさん

脱原発より脱おじさん。
脱原発より脱おじさんを目指す方が、脱原発に近づくのではないだろうか、というお話。
「脱おじさん」
まず、言葉の定義から始める。
おじさんとは誰のことか。
世の中にいる全てのおじさん達、というわけではもちろんない。
正反対のおじさんを二人、登場させる。
おじさん A
「この世はお金が全てだ!なりふり構わず儲けた奴が一番偉いんだ!」
おじさん B
「お金などいっさいいらん!
自然の恵みだけで俺は生きていけるのだ!」
おばさん「まぁ、お金はないと困るけど、他にもっと楽しいこともいっぱいあるよね。」
おじさん A
「男は仕事ができたらいいんだ。仕事が生き甲斐だ。」
おじさん B
「仕事をやったら負けだと思う」
おばさん
「楽しく仕事をして、さらに家族との時間も大切にしたいかな?」
おじさん A
「日本はこのままではいかん!
経済を活性させて、経済大国としての威信を高めなければならない!」
おじさん B
「日本はこのままではいかん!
資本主義が行き詰まる中、今こそ社会主義によって皆が平等に暮らせるユートピアを作らねばいかん!」
おばさん
「それより経済がこのままでも生きていける方策を考える方が必要なことじゃない?」
おじさん A
「アメリカから押し付けられた憲法は改憲して、強い軍隊を作らねばいかん!」
おじさん B
「9条は死守!軍備は放棄すべきだ!」
おばさん
「どっちでもいいんじゃない?」
おじさん A
「今時の若者はなっとらん!
乱れた日本語の上、選挙へもいかないし、仕事もすぐ辞める!」
おじさん B
「今時の若者は元気がない!
大企業や公務員志望の安定思考、かたや仕事もせずに自宅警備してる引きこもりもたくさんいる!」
おばさん
「大企業公務員戦士でも引きこもりでも、自分のやりたいことをやっている(やろうとしている)ならそれでいいんじゃない?」
正反対なおじさんABに対しての、おばさん。
二人のおじさんと違い、自然で脱力した自由なおばさん。
脱おじさんとは、おばさんになること、じゃないだろうか。
右でも左でもない、おばさん。
上でも下でもない、おばさん。
ただ、自分の心の気持ちを素直に表現して行動する、おばさん。
どっちかのわかりやすい極に捉われることはない、おばさん。
厭世観が蔓延してるいまだからこそ、
なんだか、そういう「おばさん」
の視点が、必要なんじゃないだろうか。
しかし、そういうおばさんの声を封殺することで、高度経済成長というのを成し遂げ、今の日本が存在している。
いまだに、かつての栄光を取り戻そうとしている人々にとって、このおばさんの声というものは、ただの「雑音」であり、「逃避」にしか過ぎないと感じておられると思う。
その高度経済成長を生み出した成功体験は、それを実行していった人たちには、なかなか捨てることが出来ない。
だからこそ、そういうものをまとめて「おじさん」という括りにして、脇に置いておこう、棚の上にしまっておこう、と言いたい。
おばさん的思考の人たちが、自分の意見を伸び伸びと述べて、自分のやりたいことを素直に実現させていく人が増えるようになったら良いなと、思う。
もちろん、「おじさん」を脇におこうとしても、日本で一番力のあるお金を持っているおじさんはすごく強い、最強。
だから、おばさんを盛り上げることで、おじさんおばさんがイーブンぐらいのちょうど良い感じになればいいんじゃないか?と思う。
だから、脱原発より脱おじさん。
僕も、自分の気持ちに素直になって、来年四月から、やりたいことをやることに、する。

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