「バイバイ」を科学する

たけっし~が書いたこと
なぜ人は、手を振るのだろうか?
人は別れる時、手のひらを相手に見せて手を振る。
出来るだけ手のひらを高くあげて、よく見えるように左右に振る。
遠くて顔がわからないときでも、手のひらだけは相手にわかるように、うんと高くあげて大きく振る。
なんで手を振るんだろう?
別れを惜しんでいるから?
でも
手を振るのって、別れを惜しんでいるのとは少し違うと思うんじゃないか。
惜しむなんていう後ろめたい気持ちで手を大きく振ることは、難しいような気がする。
別れを惜しむのではないとすれば、何か。
「また会いましょう」
の気持ち。
たぶん、これや。
間違いない。
最初からこれを思いついとけばいいものを。。
なぜ、別れを惜しむという可能性が、最初に僕の頭に浮かんだんだろう。。
それはたぶん自分の中で、
「また会いましょう」
より
「別れを惜しむ」
気持ちの方が強いからなんだろう。
うーん。
これはよくない。
なぜよくないかと言うと
「また会いましょう」=未来思考
「別れを惜しむ」=過去思考
要するに、未来思考タイプと過去思考タイプに別れる。
過去に囚われるような過去思考が基本にあると、自力で前に進むことができなくなってしまいがちだ。
結局、受け身な考え方になってしまう。
要するに、過去のトラウマに引っ張られて問題解決できない思考状態に陥っていることを表している。
その点、未来思考タイプは、限りない可能性のある「未来」を照準している。
その姿は自然と爽やかになり、新しい未来を見つめ続ける希望に満ちた瞳を宿すことになるだろう。
未来思考の人は、たぶん良い未来を優先的に描きながら生きていけるんだろう。(たぶん)
というわけで、過去思考の人は、「次にむけて爽やかに手を振る」ということができないのだ。(出来てもぎこちない)
対して未来思考の人は、身体をいっぱいに使って「また会いましょう!」を表現できる。
これからがもっと楽しくなるように、と。
だから「バイバイ」を爽やかにするためには、未来思考を目指そう!
という結論。
なぜ、人は別れるときに手を振るのか?
これについては、また今度考えることにする。
終わり。

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