内田樹さんは、橋下市長のことになるとなぜあんなにもしつこいのか。 

はいさい!
内田樹大好き人間のたけっし~です。
今回は「内田樹さんは、橋下市長のことになるとなぜあんなにもしつこいのか。」ということについて考えてみます。
ぼくは内田樹さんの著書を手当り次第貪るように未だ飽くことなくほぼ毎日読み続けています。
内田樹の本を課題本とした読書会も10回しました。
僕のツイッターで一番引用つぶやきが多いのも内田樹さんです。(300回ぐらい)
文章の書き方も内田樹さんをできるだけパクるようにしています(全然できてない)
このように変態的に内田樹さんを偏愛状態の僕ですが、なぜか内田樹さんは橋下市長のことになると、必要以上に大人げなくしんらつな論評をしていることに前々から気になっていました。
今朝の内田樹さんのブログを読み、その恨み辛みを延々述べる魔女のような文章を読んだとき、なぜあそこまでしつこく、そして「気持ち悪く」なれるのだろうと不思議に思いました。
もちろん、私が橋下市長を支持していることも、内田樹さんの発言を不愉快に思うところもあるでしょう。しかしそれを頑張って差し引いて考えてみても、あまりに論の建て方がちょっといつもの内田樹さんらしくありません。
内田樹さんが橋下市長のことを述べる時に限って、暗闇の底にしとーって広がるような気持ち悪さを文章から感じてしまいます・・・
内田樹さんという優れた知能を持つ方が、橋下市長の話になると途端に「気持ち悪くなる」のはなぜなのか。
これについて考えて行きたいと思います。
長くたらたら書くのもうっとおしぃと思うので、僕が感じているその結論から書きますと
“内田樹さんは橋下市長をdisることを、自分の責務と考えている”
と思います。
この”責務”ってどういうことなのか。
内田樹さんの著書を複数読んで、私に一番伝わってきたメッセージがあります。
それは「今この瞬間がこうしてあることって凄いよね」
ということです。
要するに「今ここにある普通のつまらないかもしれない生活がいかに尊いものか」
ということをメッセージとして一番多く受け取りました。
このメッセージは言い換えると、「この世に無駄なものは存在しない」ということになります。
これは
「一見無駄に見えるような事であっても、それが巡り巡って何かの役に必ず立っている。」
ということであり、内田樹さんの主張としては
「無駄を削減して新しいものを作るよりも、今あるものをブラッシュアップして少しずつ時間をかけて変えて行くほうが、長期的にもメリットが大きく、歴史的にもそのほうが良い結果を産んでいるというのは証明されている」
という考え方になっています。
要するに、一度全部破壊して更地にしてマンションを建てるよりも、今あるアパートを改築増築してやっていこうじゃないか!ということです。
そしてこのメッセージは、無駄を削減していらないものはぶっ壊して必要なところに集約していくという橋下さんの政策と真っ向からぶつかります。
この対立するメッセージ制からみても、内田樹さんと橋下市長が相入れないのは当然です。
ですが、政策が対立するというだけで、あのように深い熱のこもった文章が書けるものでしょうか。
魔女が深い森の奥の暗い部屋で、呪文を唱えながらがいこつスープを煮たてているような物言いが出来るのでしょうか。
もし政策が対立しているだけなら、内田樹さんはそこらへんにいる政治家とも基本的には相入れないはずです。
なのに熱を籠めて批判しているのは橋下市長だけなのです。
これはどういうことでしょうか。
考えうる理由をいくつか列挙しました。
・橋下さんを批判して、より良い行動への改善を期待しているから?
・いるのかどうかよくわからない風前の灯状態になっている、アンチ橋下陣営側の大将を務めんがため?
・橋下さんを論理的に批判できている人が他にいないから?
・平松さんへの義理?
どれもあり得そうな回答ですが、実は僕はどれも本音のところで違うと思います。
大衆の絶大な支持を受けて突き進む橋下市長。
”民意が許せば何をやってもいい、不都合があるなら民意を問えばいいじゃないか!”
と、橋下市長はよく言います。
内田樹さんは、こういう政治のやり方がゆるされるという現状そのものが嫌いなのではないでしょうか。
なぜ、大衆は橋下さんのような方を支持してしまうのか。
なぜもあのように大きく票が流れてしまうのか。
小泉人気と同じような形で繰り返えされている橋下人気に
内田樹さんは相当な危機感を持っていると思います。
内田樹さんは日本辺境論で「日本人の変わり方はかわらない」と言っていますが、いくら繰り返すといっても、ここまで短時間の間に小泉人気による失政という同じ「誤ち」をするなんて思ってもいなかったでしょう。
「今後も、橋下さんのような政治家が現れたら日本人はまた、全てを任せてしまうかもしれない。
いつか、取り返しがつかなくなるときがやってくるはずだ。」
そう、考えているのかもしれません。
だから、橋下さんのやることなすことに対して一つ一つ突っ込んでいくことで、少しでも大衆に対してその誤ちの大きさに気づいて欲しいのではないでしょうか。
だがしかし
ちょっと待ってください。
それにしては、あまりにも内田樹さんの文章に説得力がないように思えます。
僕が最初のほうで、「気が狂った魔女のように」って書いたと思いますが(気が狂ったとは書いてないか…)
どうもヒステリックな文章になっています。
内田樹さんが他のことを書いているブログや著書に比べてあまりにも面白くありません。
我慢して途中まで読むのですが、どうしても耐えられなくて全部読む事ができません。
そんな面白くない文章を読んで、我々は橋本さんを選んだことを恥じるでしょうか?
「この文章きもい」
と、ばっさりいっておしまい、です。
それは、橋下さんを応援している僕が読んでいるというバイアスがかかっているということもあるとは思いますが、その必要とされる目的から考えると、そもそも橋下支持の人たちに届かないと意味ありません。
となるとこれはもう一つしか理由が残っていません。
それは………
「橋下さんが嫌い」
ということです。
純粋に橋下さんという人間が嫌いなだけなんだと思います。
嫌いだから、あのような文章になる。
もしかしたらあのような文章にすることで、「嫌いなだけ」ということを伝えようとしているのかもしれません。
「だって嫌いなんだからしょうがないじゃない」
って内田樹さんは言うと思います笑
内田樹さんは橋下市長のことが、ただ単に嫌いなだけなんです。
子供のような気持ちを素直にだす内田樹さん。
ほんと、すごく内田樹さんらしいと思います。
「子供のような気持ちを持っている大人の方が柔軟な思考ができて面白いことを成し遂げる」
これは、間違いないことです。
子供なんだから、駄々っ子がごねるような文章になってしまうのも当たり前なんですね。
大人げない大人の内田樹さん。
それを包み隠さない内田樹さんはやはり、すごい人です。

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