大山からの帰り道に感じた 葛飾北斎の絵のような景色 という現象

葛飾北斎の絵のような景色

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お盆やすみのこと。
鳥取の大山に登った後、なるちゃんの車で送ってもらった帰り道。
山から道路を車で下っていくと、森と森の隙間から美保湾が見えてきた。
その美保湾の海と空が混じり合い、二つの色が重なったその境界線からほわわ~んと、淡い綺麗なグラデーションが生まれていた。
その景色を見たとき、
ふと、葛飾北斎の絵が思い浮かんできた。
海と空のグラデーションの感じが、北斎の絵の色とソックリだと感じたんだと思う。
その時、北斎の絵と目の前にあるリアルな景色がつながり、互いが互いを補完し合うような関係として頭の中で構築されていることを発見した。
北斎の絵と目の前の風景。
この二つが、イメージとして重なり合うことによって、さらに目の前に展開している景色が美しいものだと感じられるようになる。
実際の景色と北斎の絵が交互に浮かんできて、それぞれがそれぞれを補完し合う形として、両者が持つ「美しさ」というものがどんどん高まっていくような、そんな相乗効果が生まれていると思った。
目の前で刻一刻と「変わる景色」があり、それとの対比として「変わらない絵」がある。
変わるもの(風景)と変わらないもの(絵)
変わる景色は、変わらない絵によって一定の価値付けをされ、
変わらない絵は、変わる景色によってリアルな存在としての価値付けをされている。
リアルな景色があるからこそ北斎の絵が生き生きと見える。
北斎の絵があるからこそ景色の良さにも気づくことができる。
表現しようとしていることは似ているけど、「違う媒体」である、絵と風景が高め合うような、そんな相乗関係ってなんかいいなぁ、となるちゃんに運転してもらいながら眺めた美保湾の景色を見て、思った。

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