僕がモンゴルへ行く理由

僕がモンゴルへ行く理由
「なんでモンゴルいくん?」
とよく聞かれる。
この科学技術全盛の時代になって、大地と馬しかなくとりたてて目新しいものが何もないモンゴルなんぞへ、なぜ行くのか。
途上国バブルのようなものが期待できるかというと、人口が少ない・海がない・ITに向いている国民性ではなさそう、といったようなことから他の途上国に比べても大きな成長は一般的には期待できないだろう。
そんな国に行ってどうするのか?
気になるのは当然だと思う。
当然なのはわかっているんだけど、僕としてはこれを聞かれることがすごくつらい。
言葉で説明できることとしては
「騎馬隊を作りたいから」
となる。
もちろん意味不明だから
「?騎馬隊?それで何するの?」
ってさらに聞かれることになる。
それでなぜ騎馬隊を作ろうと思ったか等について色々と話すわけだけど、結局のところ理解してもらえないことになる。
自分でも納得させられるような合理的な説明は思い浮かばないし、今のところ納得させられるような言葉をはけるとは思っていない。
それでも理由について聞いてくれる人たちは、少なからず合理的に理解できる要素があるはずだという期待を滲ませている。
でも本当のところ結局は、「理解できない」という結論になってしまうし、大きな誤解を与えてしまうことにもなりかねない。
もちろん、相手に理解してもらえるような事を言って誤魔化すのはたやすい。
だけど簡単にそんなことを言ってしまうと、自分で発したその言葉が現実味を帯電してしまい、それが目標のようなものにすり替わってしまうような危うさがある気がする。
その程度で流されるってどうなの?ということもあると思うけど、まだ騎馬隊を作るということに取り掛かっていない段階で、下手な結論を生み出してしまって可能性を無くしたくない。
何かをやってもみない内から、言葉とイメージだけで組み上げてしまって
「これが目標です」
バン、と出してしまいたくない。
そのことにチャレンジする前から出せている結論なんていうものは、チャレンジする過程で遭遇する出来事や自分自身の成長を加味していない。
だからやる前から目標を細かく作り上げることにあまり意味はないと思う。
やる前に決めるような目標というものは、その目標を忘れないための目標であることと、目標があることによって自分を奮い立たせるための目標に過ぎない。
だから、騎馬隊を作ってどうの、とかいう話を現時点でしたくないし、それによって他の人に理解されることもないだろう。
というような感じが、最近の状態だ。
こうなるから、モンゴルへ行く理由を聞かれるのはつらいし、あまり人にも会わなくなった。
騎馬隊を作るという想いは、まだ何も成していないことと、気が変わり易くとても弱い性格ということもあって、すごく壊れやすい状態にある。
だから、色々と質問されることで自分の持っている思考を乱されたくないというのもある。
僕としては、去年の10月頃からモンゴルで騎馬隊を作りたいと思い始めて、その思いが毎日の自分自身の問いかけによってもぶれること無く継続しているというただ一点を持って、自分ならば騎馬隊を作ることが出来るんじゃないかということへの可能性を感じている。
自分の思考を一年に渡って継続し続けてきたということを信じたい。
逆に信じるものはそれしかないという脆弱さがある。
だから今は、易きに流れることのないよう繊細に行動していく。
なんだか、人に会わない理由をつらつら書いてるだけのような文章になってしまった。
なんだか、マイナスな感じがたくさんあるけど、これでいいと僕は思っている。
プラス思考でなんかで、やっていけるはずもないのだから。

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