席を譲らないボク

席を譲らないボク
電車に座っていると、目の前に老人のような人がきた。
しかし老人といっても、ヨボヨボで杖をついたいかにもなじいちゃんではない。
しかしおっさんにしては白髪が多く、溜め込んだ日々の疲れが全身から発散されていて、まさにあと一歩で老人に任命されてしまう岐路にいるような人が、ボクの目の前にきた。
席を譲るべきか狸寝入りを決め込むか。
これはとても迷うシーンだろう。
たぶん、こういう決断を迫られるシーンに遭遇する人は多いはずだ。
まさに重大な決断を強いられる場面と言っても過言ではない。
こういう状況に陥ったとき、ボクは席を譲らないことの方が多い。
こういうときに起こりうる失敗として多くあることが、
「次の駅で降りるから」と言われてしまう。
譲ろうとしたが老人に固辞されて、再度座った自分がなぜか席を譲られて座らされているような恥ずかしさの術中にはまり込む。
勢いよく席を譲って立ったにも関わらず、固辞した老人も座らずにポカンと席が空いたままの気まずい空気が車内に発生してしまう。
等々たくさんの恥ずかしい事が起こりうる。
しかし、ボクが席を譲らないのはこういうことが恥ずかしいことが主な理由なのではない。
もっと重大な理由があるのだ。
ボクが席を譲る過程で最も恐れる事は、目の前の老人ギリギリの人が、席を譲られたことによって自らを老人だと認識させてしまうことだ。
「バリバリ働ける中年から老人へ」
というあまりにも大きな一線を越えるための手助けを、ボクが席を譲ることによってその背中をバン!と押してしまうこととてもを恐れる。
席を譲られたおっさんはその瞬間悟ることになる。
「俺もついに席を譲られる老人の仲間入りか・・・」
一度自らを老人だと認識してしまった個体は、もうあの働き盛りの中年に戻ることはできない。
その個体は、意識が認識した老人という概念に近づけるべく、体の老化を速めてしまうことだろう。
この個体は、老人特有の無駄のないスタイリッシュな働き方に目覚めるまで、その生きる上でのポテンシャルは急降下してしまうことだろう。
そんな人生の重大な岐路への道を善意で席を譲ろうとしたボクが、そのか弱い背中を押し出してしまうことになるのだ。
だからボクは席を譲らないことによって周囲からどんな風に思われても構わない。
席を譲らないことによって、この中年老人をこちら側に押しとどめることが出来るのであれば。
だからボクは席を譲らない。

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