田舎で流れているCMがダサい理由

徳島の友人の家でテレビを見ていた時、地元のローカルCMが映っていた。それはいつも大阪で見ているような洗練されたCMとは違ってて、地元のスーパーや園芸店の情報を、機械音のような声の女性がただ情報を読み上げていくだけといったものであった。

その時僕は「なんでいつまでもこんなダサいCMを流しているのだろう?」と疑問に思った。

今なら便利なソフトとかがたくさん出ているので制作のハードルは極めて低い。

今のように、画像一枚を棒読みしてるだけのCMに比べて、はるかにクオリティの高いCMをテレビの広告費より断然安くに作ることができるはずだ。

なのに、なぜ田舎のCMは昔ながらの古臭い広告を流し続けているのだろうか?
そんなことを思いながらぼんやりテレビを観ていると、ある事に気づいた。
全国用のCMが流れている時と、ローカルのCMが流れている時の空気が違う。

いつもは全国用のCMしか目にすることがないから気づかなかったが、全国用CMとローカルCMの落差は凄まじくおおきい。チャンネルがいきなり変わったのかというぐらいトーンが変わる。その点、全国用CMはなぜか他人事のように感じてしまう。これは都会の人々のためのCMであり、田舎の自分には関係のない世界の話である、といったような感覚を覚えた。

それはもはやBGMに過ぎなかった。

それに対して田舎のローカルCMの時は、周辺にあるスーパーのセール情報とかが流れてくる。

その情報は、そこにいる自分や友達にとって必要な情報だったし、またその古臭いCMであるが故に「頑張ってるな」という我が子を想う爺さんのような気持ちになって応援したくなった。(想像)

多分、田舎のCMはこの落差によって生み出される愛情に期待しているのだ。

どんなに頑張っても都会のような華々しいCMを作れないならば、かえって古臭いCMのままの方が、地元民には好かれるということなんだろうと思う。

だから田舎で流れているCMはいつまで経っても、古臭いままなのだ。おしまい。

スポンサーリンク
広告
広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする