あの日を振り返る 2011年3月11日

2011年3月11日は二日酔いから始まった。前日の会社宴会で飲み過ぎてしまったせいだ。しかもその席で上司に暴言めいたことを言ってしまって、11日の朝に上司から「お前クビな」と半ば冗談に半ば本気で言われて「昨日の過ちを後悔」した朝だった。

事務所に居づらいというのもあってか、出勤後すぐに神戸へ営業に出かけた。そしてちょうど地震の時間には電車に乗っていた。「妙に電車が揺れる」と思ったけど、まだ酔ってるからだろう、と自分の不覚さに再度ため息を着きながら電車に揺られていた。

そして駅を降りてショッピングモールの壁に備え付けられたテレビをみると、地震によって港へまさに打ち上げられつつある大きな船の映像が流れていた。

最初は何かの映画だと思った。地震でこんなことが起こりえるはずがない。そう思っていた。町行く人々もその映像を一瞥しても、またいそいそと仕事へ向かう人が大半だった。でもよく見るとそうではないことが徐徐にわかってきた。しかし僕もテレビをずっとみているわけにもいかなかったので次の営業先へ向かった。

営業先は神戸のラジオ局だった。折しも阪神大震災時に、本社建物や放送機械がめちゃめちゃになっても、別のスタジオで震災から14分後の6時から69時間コマーシャル抜きで特別番組を放送し、被災地に情報と励ましを送り続けたようなすごいラジオ局である。

そんなところへ地震発生直後に営業にいくのはどうも不謹慎な気がしてならなかったが、でも「地震がおこったので忙しそうだから営業にいくのは止めます」っていう電話をかけるのも変だと思って、とりあえず時間通りに局へ行くことにした。

ラジオ局前には「東北で地震」と大書された号外が貼られていた。大きな地震が起きたという他に詳しい情報は何もなかった。受付にいってみると、装う通り?担当者は不在。いつもなら食い下がるところを、こんな時に営業しにいく自分が恥ずかしくもあってすぐさま退散した。

この日は夜にラジオ局主催の音楽イベントがあり、そのイベントで映像を流したいという要望があったためはるばる東大阪から2時間かけて通っていたわけだが、この期に及びどの面さげてイベントに出席したらいいのかわからなかったけど、断るのも失礼な気がしたので参加した。

夜になると地震の影響が恐ろしく広い範囲で甚大であるということがわかりはじめ、津波が関西までやってくるかもしれないという恐怖も沸き上がっていて、イベント会場も神戸の海に面したところであったので、イベント中も津波が大丈夫かどうか気が気で仕方なかった。もし津波が来たらどのように逃げるかとかあれこれ考えていたと思う。

幸いにもイベントはつつがなく終了。普段なら営業トークを炸裂させて、夜にわざわざ仕事しにきた成果を出しにかkるところだったけど、地震の全貌がわかるにつれてもはや仕事どころではなく、もう世の中はイベントどころではなく、仕事も今後は大変なことになるだろうという予感が押し寄せてきていたので、早々に退散した・・・

とりあえず地震の日の出来事で覚えているのはこれだけ。

あとは何をどうしたらいいかわからないという混乱の日々だったと思う。

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