モンゴル人について 序論

モンゴル人

モンゴル人について書かねばならない。

今まで何度もモンゴル人について書こうと思ってきたが、書くことが出来なかった。
書くというものに含まれる批評性所以か、モンゴル人について書こうとするとどうしても目についた悪いところに偏って行ってしまいそうだった。

モンゴル人は日本人から見たら常識外れのことばかりである。しかしその矮小なる常識を取り払ってみるとそこには日本人が想像することもできないような優しさのようなものが広がっている。しかしこの広い優しさのようなとりとめのないことを文章化することは難しい。日本語にするのに適当な言葉が見当たらない。

たぶん、そのようなモンゴル人を的確に捉えた文章というのは作り得ないのではないだろうか。
僕はモンゴルへ来る前に、司馬遼太郎の草原の記を読んだがその内容は捉えようのない茫々としたものだった印象しかない。記憶にあるのは、モンゴルの田舎の女の子が優しかった、ということぐらいだ。もちろん僕の読解力が乏しいせいでもあるかもしれないが、他の司馬遼太郎作品に比べていかにも不鮮明な作品である。あの不鮮明さというのは司馬遼太郎自身が「モンゴル人を日本人がその枠内に収めることは不可能である」とあうことを暗示したものであろうか。

もしかしたらモンゴル人についてある程度わかった今の状態で読めばまた違った印象を持てるかもしれないが、そもそもそういう前知識が無いと理解できないような物は、モンゴル人を紹介するに足る代物だとは到底思えない。
よって、いかなる文豪であろうともモンゴル人について文章に残すというのは、僕はほぼ不可能であろうという結論に達した。

それを前提として尚、モンゴル人について僕は書いてみたいと思う。それはいくつかのとりとめのない出来事の羅列にすぎないものになると思うが、わずかばかりでもそこからモンゴル人という人々を知るための藁の一片にでもなれば幸いである。

モンゴル人

具体的にモンゴル人について述べてゆく次回のテーマは

「ヤースンべ、ミニーフー」(どうした、わが子)

にしようと思う。

初めて会った人に対して「わが子」と呼ぶその心について考えたい。

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