内田樹さんを読んで「分かりやすさと忘れやすさ」

内田樹さんの最新刊「街場の戦争論」が意外に(?)面白かったです。

タイトルからしてちょっと変な方向へ向かっていそうな気配を感じてしまい、当初は購入するのをためらっていましたが、「内田樹さんが戦争について語るなら、僕は読まねばならない」という謎の決意により、買って読むことにしました。

いざページをめくってみると、最近の内田樹さんに見られる左翼的な考え方がほとんどなく、戦争のことを考え抜いた上で先の大戦について正面から問いかけてらっしゃるように感じました。

街場の戦争論がとても面白かったので、「知に働けば蔵が建つ」2008年発行の文庫本を読みはじめました。

するともう言ってることが全然わかりません。わかるとえばわかるんですが、街場の戦争論のようにスラスラと頭に入ってくるような理解のし易い語り口ではなく、こっちの方は漢字が多い上に少し気張った文体で書かれているために、かなり読みにくいのです。
貴族と大衆についてのところなんか、寝ながら学べる構造主義でわかりやすく説明されているような内容が、かなり難解に書かれていて「俺には関係ねぇ」と、諦めて読み飛ばしてしまうぐらい、ややこしいものでした。

それに比べて最近の内田樹さんが出版されている本は、とても分かり易い。

これは内田樹さんの、難しいことを分かりやすく書く技量が神業的に上がっていることと、もっとたくさんの人に読んでもらいたいという内田樹さんの願いが込められているからだと思います。

でも僕が少し思うことは、簡単に説明するのは良いことばかりではない、ということです。

簡単に説明されてしまった内容は、すんなり頭に入ってくるけども、そのまま頭の中で立ち消えてしまうか右から左へ流れて行ってしまうことが多いのではないかと感じています。

高校の時の授業にこの経験をしたことがあります。数学の授業で先生があまりに上手く説明してくれたおかげで、その場ではすんなり理解出来ていたんですが、後になって思い出せないわからないということがありました。
また反対に、先生の説明が下手くそだったけど「つまりこれはこういうことなんじゃないの?」と自分で理解して納得せざるを得なくて、そのためにあとあとまで覚えていてテストで良い点をとれた、ということがありました。

僕は、分かり易い説明で理解したことの賞味期限は短いが、自分で頑張って理解したことは未来永劫体感として身につくものだと思います。

だから内田樹さんの話を聞いて、ふんふん容易に納得しているだけでは多分ダメで、その話の骨格を形成している原書なりを読んで考える必要があると思います。

そこでわかりにくい概念に接して頭をこねくりまわして理解するという作業を経てこそ本物になりうるんじゃないか、と思います。

でも原書はあまりに難しすぎて結局太刀打ちできません。

内田樹さんは「わからない本でも何回も何回も読んでいると体が理解してくる」と言っています。

本当にわかりたいなら、無理やりにでも読まないといけないそうです。

でもなかなかそこまでできませんね。

じゃあ一体どうしたらいいのか。。

保留にしておきます。

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