内モンゴル人と日本人の間に横たわる複雑関係

20171029日に大阪で開催されていたモンゴルの秋祭りには、たくさんのモンゴル人や日本人がきていて楽しかった。

会場内で、モンゴル式整体院をやっている内モンゴル人の先生と再会した。

会場では、アジァリンポチェ回想録という本と数珠を売っていて、「この数珠は日本の木で作ったものなんだよ。そして本の印税はモンゴル国で学校を作るためのお金に使います」と、あまり人の集まっていないブースで一人、とても綺麗な目をして語られていた。

先生は、中国のモンゴル民族に対する弾圧に対して真正面から政府に反対しているため、中国に帰ると逮捕されてしまう。故郷に帰れないなんて想像もできないぐらい辛いことだと思う。

日本で中国の非道を伝える活動もされている方だ。

話を聞くたびに、中国の少数民族に対して名誉を奪うやり方がとても狡猾で、現地の人はどんな苦労をしているのかと暗澹たる気持ちになる。

アジァリンポチェ回想録を読んでも、尊敬の対象だったチベットの高僧が、文化大革命でむちゃくちゃに罵倒され名誉と尊厳と肉体を傷つけられている様はおよそ想像もできない。

だが僕は、中国の非道について読んだり聞くたびに、中国を真正面から非難することを躊躇してしまう。

日本も、かつての太平洋戦争で中国のモンゴル民族を漢民族を抑えるために便利に使った歴史があるからだ。

蒙古聯合自治政府

蒙古聯合自治政府という内モンゴル人を主体とする国が、第2次世界大戦で日本側として参戦していた。だが、結果は無残な敗戦である。

何年か前、内モンゴルの友達に言われたことが今も忘れられない。

「共産党に支配されるぐらいだったら、日本に支配されたかった」

蒙古聯合自治政府があったのも、対立する民族の片方を担いで戦い、勝利後は担いだ方の力を削いで統治するという大日本帝国の対外方針だったのだと思うし、これは帝国主義としては常道である。

内モンゴル人を支援して、本気で独立させようと考えた軍人もいたことにはいたらしい。

しかし、大日本帝国としてはやはり最終的には独立させないという方針があったようではある。

ただ短期的にみて有効なこの手は、長期的にみると軽蔑を買って結果的に統治国の影響力が損なわれてしまいかねないことから、今では現代の日本のように特別な野心もなくお金だけは貸すみたいな方が、無害のため親日国を増やして目に見えない影響力を広げる方が効果的?かもしれないとかは思う。

話がそれたが、やはり中国政府としても国家の分裂は避けたいわけなので、強力な統一のためには少数民族を差別することで、漢民族の不満の矛先が政府に向くことを避けるというのは、デカすぎる中国という地域を一国で成り立たせるためなは仕方がないことなのではないだろうか、とも思う。

もちろん、一国で成り立たせようとするから無理が出るのであって、無理のないサイズに解体される方が「自然」だとは思う。そうなる過程にはものすごい血も流れるだろうし、対岸の日本も無事ではない。

今の無理やり中国を成立させるのが良いのか、戦乱を経て自然な国家のサイズに収まるのが良いのか。

これはどうにも答えられない問題のように思う。

歴史の流れに任せるしかない。

流れに任せるということは、中国の非道に対して真正面から非難することができないのではないか。

僕としては、辛い想いを秘めた内モンゴルの人と出会う度に、なんとも言えない辛い気持ちになってしまう。

できることはやっていきたい。

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