5回目のキルギス滞在で気づいた、その地を知るためにはそこで生き抜いてきた人と共にあらねばならないということ

5回目のキルギスへ行ってきた。

現地代表のヌリヤさんには、今回キルギスへ僕が行くからには、シャーマン、マナスチ、遊牧民に出会えなければ行く意味がないと伝えていた。想いが伝わったことでとても素晴らしい出会いがたくさんあった。まさに僕がこのタイミングでキルギスに来るべくして来て、会うべくして出会った人たちという感じだ。

今回のキルギス滞在によって、やっとキルギスのことを理解を始める土台が整ったと思う。

今まではモンゴルからライトを当てるかのようにしてキルギスのことを見ていたが、これからはキルギスから世界へ向けてライトを向けることができるようになったはずだ。キルギスとは何か、キルギスとはどういうところか、キルギスとは何を持ってキルギスとなっているのかをおぼろげながらも、わかるための土台を今回の旅で獲得できた自信がある。

今回の旅の総括として、シャーマン、遊牧民、マナスチとの出会いにフォーカスしてお伝えする。

1.イシククル湖のシャーマン

キルギスにもシャーマンが存在するということを知ってとても会いたくなった。ただ、キルギスはイスラム教徒の国でもある。一神教のイスラム教からすると、シャーマンの存在は認めれないだろう(イスラム教徒の中にもシャーマンを許容する偉いお坊さんもいるらしい。その人の写真を見たがとても優しそうで温かい表情だった。この表情こそ聖職者が聖職者たる姿だと感じた)

ヌリヤさんに探してもらったシャーマンも、素朴な生活をしながらも、イスラム教に対するわだかまりはとてもあるようであり、若干気の毒ではあった。

イシククルのシャーマンは、イシククル北部の外れの村に住んでいた。村の1番北側の端っこで、キルギスの雄大な山をバックに素敵なところで生活していた。

その家で初めてシャーマンを目にした瞬間、昔の大お父さんに出会ったかのような感動を感じた。なぜか何も話さなくても涙が出てきそうなぐらいだった。もちろん涙は我慢した。

シャーマンは、儀式で使う太鼓などの身の回りの色々なものを手作りしている人で、訪問した時も儀式用の太鼓を作っていた。太鼓の取手に彫る模様もフィーリングでやるらしく、家の外でお話ししながらも、掘り進める手は止まらない。すらすらととても美しい太陽模様が取手に描かれた。

普通、家を訪問したらまずは家にあげてくれるものだと思っていたが、10分ぐらい外でお話しをした。外からの来訪者についている何かを浄化してから家に入れるための準備の時間であろうか。

その後、家に入れてもらい、お話しをする。基本的にはこちら側の質問に答えてもらうというスタイル。最後までなぜかお茶は出てこなかったが、スイカはたくさん食べさせてくれた。これがお茶変わりなのだろうか。キルギスではお茶が出てこないことがままあるがなぜだかはだまわからない(モンゴルでは必ず最初にお茶が出てくる)

奥さんはロシア人。ロシア人というと日本人にとっては怖いイメージもあったり、表情が怖い(硬い)人が多いイメージだが、そのままの通りで最初は怖かった。ただ時間が経つと表情も柔らかくなってきた。シャーマンと結婚するだけあって、その人も人のことがわかるらしく、僕に対して「色々と考えすぎだ。頭を休ませなさい」と言ってきて、若干シャーマンでもないのに何を偉そうにと思ったが、確かに僕自身も色々な考えが頭の中をぐるぐると回っている状態だったので、それを改めて認識できた。自分は考えすぎているのかと改めて気づくだけでも少し楽になるし、そんなに考えなくても良いことかもしれないとも思った。

シャーマンへの質問は、キルギスで人の心が成長できるような人生観を変えうるツアーはどうしたらできるのか、と聞いた。

色々なことを言われたが、まとめると今すぐには難しいけれど、その道には乗っているので、適切なサポーターがいればできるとのことだった。

今回の旅では、楽しいだけのツアーじゃなく、その人の人生にとって意義のあるツアーを作るための旅なので、今回の旅での出会いによってそれが形作られることを僕は確信している。

シャーマンもキルギスのシャーマン流の儀式ができるとのことで、何かに困っている人に対して儀式と質問への回答をしてくれるとのことだ。

スケジュールとしては、1日目はカラコルの街に宿泊して、翌朝にシャーマンのところを訪れて儀式と質問をする流れになる。4代前の父方の先祖の名前を把握しておく必要があったりとなかなか大変だが、それだけの価値はありそう。

2.キルギスの遊牧民

キルギスの遊牧民は厳密には移動はしない。住むところは固定で、家を建てて暮らしている。

移動しないのであれば遊牧民ではないのではないかとも思われるかもしれないが、僕は遊牧民と呼びたい。

遊牧民という言葉には、移動する民という意味合いが含まれていると思うが、移動するかどうかが重要なのではなく、「遊牧的」な生き方であるかが遊牧民かどうかを分けるポイントであると僕は思う。

遊牧的とはどういうことか。自然の脅威にさらされつつも自然を感じながら共に生きることで家畜と人が自然の恵みを得ながら、家畜の数が増えたり家族が増えたり大きくなっていき、人生のステージがどんどん変わっていき、人も集団も成長していく一連の流れを遊牧的と理解している。

家畜が増えるに従って、周囲の遊牧民との関係性や仕事を手伝ってくれる人をどのように見つけて家族のように受け入れていくのかということを、大きくなっていく遊牧民はみんな行っている。そこには家畜のことを1番に考えながらも人を導いていくリーダーとしての資質も必須である。そういった過程を経て大きくなった遊牧民から学べることはとても大きい。

そのようなわけなので、僕はキルギスで家畜を飼って生活している人々を遊牧民とよびたい。

キルギスの遊牧民は中心拠点となる家の場所は変わらないが、家畜は季節に合わせて柔軟に移動するのがキルギスの遊牧民である。

夏の暑い時期には山の上へ移動し、9月上旬から下旬にかけて山から降りてくる。移動時には山道を埋め尽くす羊の大群と出会うことも多い。

今回訪問できたのは、イシククル湖の南側に住んでいるヌルベクさんの親戚。夫婦の関係が素晴らしく、2人のことを聞いていると、お父さんが恥ずかしそうに妻を見ながら話す姿がとても可愛く、2人がかわす視線の間には数々の物語があったことを感じ取れた。この夫婦に会いに行くだけでも大きな価値があるだろう。

トイレやシャワーなどの設備も準備がされており、お客様を受け入れる体制もできている。

遊牧民としてお客様を受け入れたいという想いも強くなっている時期でもあったので、タイミングも最高だった。近くにはとても綺麗な観光地もあり、乗馬で美しい景色のところへ行けるツアーも作るつもりだ。

また、乗馬での安全管理や初心者の人にはどのような馬に乗せるべきかなどの質問にも、的確に答えてくれていたので、安全に配慮した乗馬ツアーもできそうである。

3.マナスチ

マナスチに会いたいとキルギスに初めて来た当初から言っていたが、キルギス5回目にしてやっとマナスチに出会えた!

マナスチとは

マナスチとは、英雄マナスの物語を話す人。マナスチに天から選ばれた人はマナスの物語が頭にイメージとしてやってきてそれを話さずにはいられなくなるらしい。長い時には12時間も喋り続けることもあるそうな。

今回初めてマナスチによるマナスの物語を聴いてみた。

最初はゆっくりとお話が進んでいったが、どんどんテンポがはやくなってものすごい声量と迫力で物語が進んでいく。言葉の意味は一つもわからないが、声のトーンとジェスチャーと表情でどういう状況でどういう感情であるのかは感じ取れる。意味がわからなくとも伝わってくるものはすごくあって、マナスにまつわる人々の感情がそのまま体に入ってくる感じ。

マナスチがキルギスで生まれているのは、マナスの物語をキルギス国民に聞かせることで、精神的な成長を促すためだと思っていたが、違うかもしれない。

この1番の目的はマナスの物語を通してマナスチが登場人物に迫力でもって感情を持たせて、その気持ちや心の動きをそのまま聴いている人に流し込むためではないか。そうすることによって、英雄マナスの英雄たる所以を体で感じ取って刻み込める。英雄のように生きることは大変だが、英雄のような生き様を体に入れた上で普通の生活を送るというのは良いこと(言葉が見つからない)かもしれない。このあたりの考察はまだ深める必要がありそう。

今回出会ってくれたマナスチは、マナス霊廟を管理をしている人だ。大統領から直々に任命された人で、本当はマナスチとして活動したかったが、大統領からの依頼なのでしぶしぶマナス霊廟の管理を引き受けたらしい。

たくさんの人にマナス霊廟を通して良い影響を与えたいと言っていた。

このマナスチは合ってすぐにわかったが、シャーマン的なこともできる人で、生年月日からその人が持っている力や本質を見ることもできる。

ただ、基本的には多忙を極めており、会うのは困難だ。今度、日本のシャーマンを連れてくるから会う約束をして、別れた。

今回のキルギス旅で得た気づき

自然を自然からのみで理解し切ることは難しいが、そこの人と共に自然に接することで自然の理解が容易くなるのではないか。

自然を自然からのみで理解仕切ることの難しさについて

景色の綺麗なところへ行って「わあ綺麗」というのは誰でも感じれる。ただ、それはその瞬間の景色が綺麗であるとわかったに過ぎない。自然から学ぶというのはそういうことではなく、その自然が今のようになってこの瞬間が輝くことへ至った歴史を含めて知ることで、より深みのある自然を知ることができるようになる。

例えば、モンゴルの遊牧民の暮らしぶりや、その人となりと接することで、モンゴルの厳しい大地で生き抜いてきた力強さと、自然と共に生きる知恵を感じることができる。その上でモンゴルの自然を感じ切れることができるようになる。遊牧民というフィルターを通してでしか得られない感覚や理解があるはずで、僕が作るツアーではそれを得られるようにしたい。

キルギスにも美しい自然がたくさんあるが、その場にいくだけでは、同じく本当にその場所のことを理解することは困難だと思う。キルギスの遊牧民や馬方さんたちに接することで、その場所で家畜たちとどのように生き抜いてきたのかを知って欲しい。その人の中に内在する歴史とその場の自然を合わせて感じることで、深みのある理解が得られると思う。

シャーマン、遊牧民、マナスチを通してキルギスの歴史と自然を体感してもらうことで、旅行者の人生のターニングポイントや気づきを得られるようなツアーをこれからも作って行きたいと思った。

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