東京の宿命

東京
「次の停車駅は、東京~、東京~。お出口は~…」
僕はこのアナウンスを聞くたびに、少し緊張する。
日本の中心地へやってきた!という高揚感、日本の中心地はさぞやすごいところに違いないという好奇心、この二つが緊張感となって肌がざわつくのだ。
しかし駅に着くと、その自分が感じた緊張感にはいつも裏切られることになる。
東京だからといって、乗客がみんな降りるなんてことはないし(品川の方がみんな降りる)
ホームはそんなに大きくないし(品川の方が大きく感じる)
駅の外に出ても、それほど人がたくさんいないし(品川の方が人いっぱい)
駅は明治風だし(品川の方がry)
周囲は、大きなビルばかりでこれぞ日本の中心!(国会議事堂みたいな)っていうものはないし(品川には馬鹿でかいビルがある)
なんだか少し拍子抜けしちゃう街だ。
でもよくみると
確かに、東京駅前の丸の内ビルとかはバリバリのビジネスマンがいっぱいいたりして、さすが東京!とか思うけど、ビルの外にまではみ出る活気というものは、無い。
東京駅周辺にある複数の大きなビルは、その一個一個それぞれが、完結したコロニーのようになっていて、ビルの外はただの外、という印象を受けた。
ラスベガスみたい。
(巨大なホテルが一つの完結したテーマパークみたいになっている)
でもこの完結したビルというものって、未来の姿を現しているのかな、とか思う。
でも、なんだかそういうのは違うと思う。
みんなが一つの枠内で収まって完結し、「それ以外のところとは全く関係ありませんよ」という空気が当たり前になるのは、あまり良いことではない
と、思う。
ぼくは、街がちょっと不効率で、グデングデンのところもあるけど、その不効率さが人間らしくて逆に別の面白味を産んでいるようなところの方がなんとなく面白いと思う。
だからと言って、東京のスタイルがおかしいとも、思わない。
東京は東京でいい。
と思う。
というか、なんでも中心というものは「こういうもの」だと思う。
本当の中心というものには、中心らしい中心というものはない、といことだ。
中心だからこそ、逆に何もなくて「あれ?これが中心?」
と思うような空漠感が必要だと思う。
その空漠があるからこそ、それぞれみんなが持つ中心というものをそれに投影して、自分だけの想いというのを作り上げることができる。
その自由さというのが、本当の中心というものが持たなければいけない、宿命ではないかと、思う。
東京は、その面で日本の首都たる偉大な街だと思う。

スポンサーリンク
広告
広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする