モンゴル最新情報!!スフバータル広場が7月中旬にチンギスハーン広場に改名されていた件についての裏読みと多様性について

旧スフバートル広場を北側から

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南からスフバートル像を望む(奥にあるのは政府庁舎)

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スフバータル広場といえばモンゴルの首都ウランバートルにある広場です。

観光名所ともなっているチンギスハンの大きな銅像が端座している政府庁舎の目の前の広場ということもあり、まさにモンゴルの中心地です。

僕もウランバートルを歩く時、「迷ったらとりあえずスフバータル広場に戻ろう」と思っているぐらい著名な場所です。

日本で言えば、渋谷 ハチ公ぐらいの有名スポットでしょうか。

そのスフバータル広場が7月15日の市議会でチンギスハン広場に改名されることが決定されました。

スフバータル広場がチンギスハーン広場に

この改名に関して、僕の所見を述べさせていただきます。

(この改名に諸手をあげて大賛成!という方は、ここで読むのを止めていただければ幸いです。)

さて

端的に言うと、僕はこの改名に「諸手をあげて賛成!」とは言えません。

「断固反対!」とも思いませんが、なんとなく「危ういなあ」と思ってしまいました。

以下にその二つの理由を述べます。

まず、現在モンゴルでのチンギスハンブーム?は凄まじいことになっています。

ビールもウオッカもホテルもパブも紙幣も空港でさえも「チンギス」の名を命名しているところがあります。

まさに官民あげて「チンギスの名を誇りに思おう!」という機運に満たされていると感じます。

1、社会主義の名残から脱却できていないことを隠すための方便?

これは、社会主義時代に批判されていたチンギスハンを復権させることで、社会主義だったモンゴル人民共和国からの名実ともに完全なる脱却を目指してのことと思います。

もちろん今は、国家の体制は民主主義となっているわけですが、社会主義時代のモンゴル独立の英雄の名称を冠したスフバータル広場からチンギスハン広場に改名することで、表面的にも民主主義が問題なく遂行されているということを伝えたいのだと思います。

これは邪推するならば、実際には民主主義は上手く行われていないが故にこれを取り繕うための施策とも考えられるのではないでしょうか。

モンゴルでは国費による外国留学の制度がありますが、これは成績で選ばれることになっていますが、実際には政府要人の子弟ばかりという状況のようです(地球の歩き方情報)

また、モンゴルはコネの国家ですし、汚職やワイロも横行していて真っ当にビジネスをするには難しいと言っている人もいます。

(ちなみに僕はコネというのは立派な方策だと思っています。そのことはまたどこかで書きます)

要するに、これらの社会主義時代から脱却できていない諸問題を対外的に覆い隠すための方便の一つとして、社会主義時代の英雄の名前を取り払ったのではないかと思いました。(失礼な話です)

2、多様性が損なわれていくと国家の柔軟性が損なわれる

二つ目は、多様性が失われるという問題があります。

僕は、なんでもかんでも一つに集約されていくような状態(チンギスハン)は、良い事だと思っていません。

国家をあげて一つの方向を向いて進もう!という時は大抵、何か重大な問題が解決されていないことを覆い隠すために行われることが、歴史を見ると多くありました。(これは上で述べました)

また、一つの方向に集約されて行くに従って、それ以外の物は当然淘汰されていくことになります。(スフバートル)

そして多様性を失って数少ないものが大勢を占めるようになった時、その国はその一つの物の動向如何によって容易く考え方が大きくふれてしまいやすくなってしまいます。

例えば、モンゴルではチンギスハンが復権されていますが、これが究極にまで押し進められて、あたかもチンギスハンが神のごとく崇められてしまったらどうでしょうか。町中で「チンギスハンは嫌いだ!」とでも言おうもんなら、ボコボコにされてしまいそうです。

そしてもし他国がチンギスハンを辱めるような言動を行った場合、下手すれば国論は戦争へと一挙に進んで行ってしまうということもあり得ます。(極論)

要するに、何か一つの事に物事が集約されてしまうと、それが受ける影響如何により、大きく社会が変動してしまい易いというリスクがあり、何か問題が起きたときに、一つの力点で支えなければいけなくなるという柔軟性の乏しい社会になってしまいます。

国家の本分は、国家の威信を高めることでも、領土を増やす事でもなく、ただ国家の存続を出来る限り長く保つことにあるはずであるので、この多様性のなさは、国家の存続を保つという面においてリスクテイクの要素が少ないことから、国家のあるべき姿に沿っていないと言っても過言ではないと思います。

旧社会主義国だからこそできること

チンギスハン推進と国家のあるべき姿についての話は言い過ぎたかもしれませんが、観光の目玉をチンギスハンに集約していくのもなんだか寂しいように思います。

スフバートルやチョイバルサンといった社会主義時代の英雄をもう少し押し出して、モンゴルを英雄がたくさんいる国という方向に持って行くのも悪くはないと私は思います。

モンゴルは幸いにも、言論の自由や宗教の自由は認められていて、旧社会主義国にありがちな暴政はないのが良いところです。

だからこそ社会主義時代の歴史や学ぶべき点は残しながら、体制としては公平な民主化をきちんと遂行するというのが、東側西側の両諸国に対して柔軟性のある開けた国と認められ、東西のすれちがいをつなげる架け橋的な立ち位置にモンゴルがなっていくことも可能ではないでしょうか。