読書会と日本との関係性
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管理人交代のお知らせ みんどくの振り返り vol1 みんどくの立ち上げ
僕が「みんどく」という読書会を始めたのは自分が参加したいという理由が一番先にありましたが、もう一つ理由があります。
それは
「日本を良くしたい」
ということです。
これは昔から思っていました。
たぶん僕がこう思うようになったのは、色んなテレビや映画を一緒に見てたくさんの話をしたおじいちゃんの影響だと思います。
おじいちゃんは阪神ファンでしたが、その一番の理由が
「阪神が優勝すれば大阪の景気が良くなって日本の活性化に繋がるんや!」
僕もその想いに引きずられる形で熱烈な阪神ファンになりました。
そしてついには、甲子園で声を枯らして応援するあの熱狂ぶりが癖になり、高校生時代には対戦チームを大きな声を張り上げて野次ることを目標として野球をみにいくまでになっていました。
もはや大阪がどうのとかは関係ありませんでした。
その甲子園では色んなことをしましたが、中でも一番興奮したのは「帰れコール」です。
ある暑い日の阪神中日戦、阪神の赤星選手が中日の朝倉投手からデッドボールを受けました。
その瞬間僕は、「赤星が怪我したらどうするんや!」という憤りと「野次が堂々飛ばせる!」という高揚が入り混じった興奮の中
「か~え~れ!か~え~れ!」
と叫びはじめました。
すると、この朝倉投手への帰れコールが、なんと僕の第一声を起点として観客五万人で埋め尽くされた甲子園球場全体に広がっていったんです。
自分が五万人の先頭に立って阪神を応援しているっ!!という全身が痺れるぐらいの大きな感動を味わいました。
その時、気のせいかもしれませんが、朝倉投手が遠くのマウンドからこちらをジッと見て僕を睨んでいました。
そんなちょっと熱烈の方向が違うかったかもしれませんが、とにかくそれぐらい熱く応援していました。
その後僕は、余裕で通るという思い込みをしていた大学受験に失敗、親には自衛隊に入らないと殺すぞと言われたので、自衛隊に入ることにしました。
僕は中途半端な大学に行くぐらいだったら、自衛隊を大学と同じような学び舎と捉えて、厳しい世界で頑張る方が自分のためになるかなと思っていたので、それほど抵抗はありませんでした。
そして陸上自衛隊に入隊した僕は、五年間の自衛隊人生で大きく成長できたと思っています。
その中で色々なことを学んでいくにつれて僕は、日本のために働かなくてはいけないという思いが段々強くなっていきました。
しかし、今の日本で必要なのは軍事力ではなく、何かを生み出す源となる経済だろうということをも日々感じていました。
自分のやってることと想いとの矛盾に耐えかね、僕は自衛隊を退職し、民間企業で働くことにしました。
僕が自衛隊を退職すると決めてから一年間、中隊長をはじめとした偉い方々に辞めないよう説得され続けましたが、僕の意思はかわりませんでした。
そして自衛隊を退職し、しゃばに戻ってきました。
自衛隊では鉄柵に囲まれた駐屯地の中で寝起きするので、自然と外のことを「しゃば」とよんで喜んでしまいます。
僕は民間企業に勤める傍ら、働くこと以外にも「何か今すぐ日本のために行動できる事があるんじゃないか」と考え、そしてその今すぐできる事が読書会であるという思いに至りました。
その理由として、読書会という活動が一般社会に広まれば、本について語り合うという脳に刺激的な活動が広く認知され、読書会を通してみんな賢くなっていって日本もハッピー!
といったようなことを思っていました。
以上が、僕が読書会という活動をすることになった理由です。
さて次は今度こそ、みんどくが大きな会へと成長することになった主要な要因である「公認主催者」という仕組みについてのお話をしていきたいと思います。
つづく