先日ブリヤート人の誕生会があった。
ブリヤート人はモンゴルの北部やロシアのブリヤート共和国に住むモンゴル系民族である。ヨーロッパ的な顔つきの人もいればモンゴル的な顔つきの人もいる幅広い地域で生活する人達であり、東洋的な美しさを持つ女性が多いのも印象的だ。
ちなみに僕が学生寮で同じ部屋なのもブリヤート人だ。
そこにはブリヤート人が8名ぐらいと僕意外に日本人が数人いて、あとは内モンゴル人や韓国人がいた。
ブリヤート人の中に「チンギス」という名前の男がいた。モンゴル人でもないのに名前がチンギスなのである。しかも顔つきからして「俺は強いぜ」みたいな風貌をしていたため第一印象は最悪だった。
みんなが揃ってさあ乾杯!という段になるとそのチンギスがおもむろに立ち上がり、机の上に並べられているジュースには目もくれず、わざわざ遠くに隠されているアルヒを持ってくる。仮にも寮内は禁酒でもあるし誕生日の人は酒が苦手でもある。なので酒はもう少し場がこなれてからでもよさそうなものの、いきなりアルヒを注ぎ始めた。しょっぱなからアルヒで乾杯なんかつつましやかな誕生日パーティではありえない。
しかも驚いた事に、その注ぐ量が尋常じゃないのである。モンゴルのアルヒは強烈なため、コップの底に5mか1センチ分ぐらい(シングルより少しすくないぐらい)にするのが普通だ。少量でも強烈なこともあって飲んだ後にすぐ他のジュースを飲んでダメージを最小限に抑えるようにする。それぐらいアルヒは強烈な酒でなのである。
にもかかわらずそのチンギスとかいう野郎は、信じられない事にロックグラスの半分ぐらいのところまで注いでまわっている。仲間のブリヤート人にだけならまあわからんでもないが、残念なことに日本人にも同じ量を注いでいるではないか。自衛隊の宴会でもこれほどの無茶はなかった。
「こいつは気が狂っている」
みんなポカーンと口を開けてたが、当のチンギスはおかまい無しである。まるでアルヒを大量に注ぐ事が絶対の正義かのように微塵のためらいもない。正義だと思って自己の行為を正当化するやつほどたちの悪いものはない。
僕はそれに抵抗するため全力で酒がいらないオーラを出していたが意味がなかった。残念ながらかもしだされる空気を読めるのは日本人だけのようである。
僕は観念して「パーティが終わるまでに飲み干せばいいか・・・」と解決策を検討していたが、またしてもチンギスがその均衡を破ってきた。
「よし、一気のみだ!」
のようなことをブリヤート語かモンゴル語か何かで言ったようで、チンギスは自分のグラスになみなみと注がれたアルヒをいきなり一気飲みした。
飲み干して「ぶはあ〜」と周囲を舐めるように見渡すチンギス。「さあ次はてめえらの番だ!」とでも言いたげである。
いやいや酒飲みのモンゴル人と同じ量が飲めるはずが無い。そもそも今日はジュースだけでゆっくりするつもりだったのに、なんでアルヒを、しかもむちゃくちゃな量を一気飲みしないといけないのか。
さすがに内モンゴル人が笑いながら抗議したが、そんなことに動じるチンギスではない。さも一気飲みしないことが誕生日パーティを台無しにしてしまうとでも言いたげな空気を構築して一気飲みをせまっている。観念してみんな一気飲みを開始した。
僕はモンゴルで生活して、モンゴル人と日本人とは身体の作りが根本的に違うということに気づき始めていたこともあり、その場が内モンゴル人やモンゴル人だけなら一気飲みはしないつもりだったが、となりに韓国人がいた。その韓国人が酒を飲むと言うのだ。
我々と同じ身体をした韓国人に酒で引けを取る訳には行けない・・という謎の対抗心が自分の中に出来上がってしまった。
僕はその韓国人の一気飲みを見届けた後、何かを振り切るように全部一気にいった。
腹にきたアルヒはまさに”衝撃”としか言いようがない。衝と撃である。
胃の中にショベルカーが落ちてきたような感覚だった。
今まで結構きつい酒を飲んできたが、こんなことは初めてだ。
「もはやこれまで」 と、自分の中でこの誕生日会は終わりの鐘が鳴っていたが、チンギスははやくも2本目の封を開けてまたみんなに注ぎ回っている。
さすがに2回目は誰も一気飲みはしなかったので、僕も目の前で波打つアルヒとチンギスを無視し続けた。
2回目にみんなのグラスに注ぎ終わったところで2本のアルヒが空になった。これでもう落ち着くだろうとおもっていたら、なんと最強→最凶の内モンゴル人が
「新しいアルヒを買いに行くから一人5000tgね」
とか言い出した。
僕はもう帰ると言って、その場を後にした。