昨夜モンゴル人に罵られて思い出した、10年前の日本でも似たようなことがあったこと

Facebookに「夜、日本語で話していたらすれちがったモンゴル人(たぶんよっぱらい)から”外国人のくそやろう!”(多分)のようなことを言われた」って書きつつ、「そういうモンゴル人(もちろんみんなじゃないけど)がいるのは昔外国人にひどいことをされたからかもしれない・・・」とかなんとか考えてた訳ですが、そしたらちょうど10年前ぐらい前に自衛隊の新隊員時代にあったあることを思い出しました。

自衛隊では「休日でも自衛官たるもの自衛官らしく制服を着て外出しなければならない!」とかいう意味不明な決まりがありました。(今はないかも?)

我らが陸上自衛隊の制服は、迷彩服とかではなく全身緑でちょっと小綺麗な感じです。画像は「陸上自衛隊の制服」で検索してもらえればワンサカでてくるので、それをみながら想像してください。(ここに貼付けれるような良い画像はない)

待望の休日がやってきた僕は、そんな感じで制服をきこんで意気揚々と駐屯地前のバスに乗り込み、華の都ならぬ花の横須賀市へと繰り出しました。

上官からは「2人の組になって行動しろ」と「僕らは小学生だったっけ?」とか間違いかねないぐらいにあれこれ外出時の行動についてごちゃごちゃ言われるわけですが、町へついたらそんなことを守る人は皆無でみんな色々なところへ突入していきます。

居酒屋、漫画喫茶、パチンコ、風俗・・・もう自衛隊の制服を着ていることなどおかまいなしに、この地上にある煩悩の全てを吸い尽くすことが我々の使命だ!みたいな行動をとります。(僕は漫画喫茶でネットをやりたい派でした)

(もちろんこれは自衛官が煩悩の塊というわけではなく、日々の訓練があまりにもしんどいが故に煩悩でもって自らを癒さなければ気が狂ってしまいかねないというところがこれら煩悩の発生源であり、「108の煩悩を満たすことが明日を生きる理由」というわけなので皆さんどうか軽蔑しないでくださいね。)

あと、自衛隊の制服で駅を歩いているとむちゃくちゃ道を聞かれます。駅前で友達を待っていたら3分に一回は「上野までどうやっていけますか?」とか「トイレはどこですか?」とか聞かれます。たぶんJRの職員に間違われているっぽいのですが、自衛官は公僕であるため国民の問いかけに対して無下にする訳にも行かないので、必死にNAVITIMEとかで検索して教えてあげていました。もう横須賀駅にあるトイレの位置は全て覚えました。

しかしあまりに色々と聞かれすぎるので「もう俺はJRの職員になってしまったのか・・・?」と一瞬我を見失ってしまいかねないような状況でしたが、それもこれも国民の皆様の税金でもって我らは生きているわけであると歯を食いしばって紳士な対応を心がけました。

そんなノリで駅前の大きな歩道橋を歩いていたら、しらないおっさんがこっちを睨みつけるや「自衛隊のバカ野郎」(多分)と言いながら石を投げてきました。我々自衛官は日々上官のいじめとしか思えないような訓練に耐え、休日に外出するときも自衛官という身分をまとってJRの職員よろしく道案内とかもこなしていたわけです。

それがそれがです。

我らが守るべき人達から石を投げられたわけです。「お前が存在しているせいで俺の人生はめちゃくちゃだあ!」とでも言いたげな顔でした。

もうこの自衛隊シンボル

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のキャッチコピー「守りたい人がいる」が「守りたい人から石を投げられた」になってしまったわけです。「戦場では前ばかりから弾が飛んでくるとは限らないからなクックック・・・」っていうよくある漫画の悪役が主人公を亡き者にしようとする時に言うセリフのようなことがまさに現実におこったわけです。

全く見に覚えのないことで疎まれるこの感覚。自分の生きている理由さえ否定しかねないこの出来事に19歳のぴゅあな僕は衝撃を受けました。

でも薄々は気づいていました。10年前は阪神大震災で自衛隊が活躍したこともあって印象はまだ改善されていましたが、それでも「自衛隊は必要ない」という人があの頃はたくさんいることを。(今となっては中越地震や東日本大震災によって自衛隊のイメージはかなりよくなっています。でも自衛隊自体は何も変わっていないのに都合の良いもんです)

その時に受けたいわれのない衝撃を、昨夜僕はモンゴル人によって呼び覚まされました。

今の日本では自衛官が罵倒されることはもう少ないと思います。同じようにモンゴルでも外国人を罵倒するような人達が将来、少なくなってほしいなと思います。

おわり

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