鳥取から大阪へ帰る高速バスの車内で、「エヌティティ!」と叫ぶ人がいた。
僕の隣の席には、いかにもやかましそうな若者が二人して座っている。周囲に対し(俺たちの空間だぜ!)という空気感を醸し出していて、道中どんな迷惑を被るのかと不安に思っていたが、そんな小さな不安など吹き飛ぶぐらいの大声で「エヌティティ!」と叫ぶ人が僕の斜め前の席にいた。
バスの車内はガラガラだったこともあって(僕が窓口で席を決める時には残席3だったはずだが、実際の車内は半分も埋まっていない)その声が響き渡る。
エヌティティ!が聞こえ始めてから不思議な空気が車内を占めるようになる。「これ以上の不安然事項は無くそう」といった奇妙な連帯感だ。
この感覚は日本人ならではなのかもしれない。
横の若者二人も喋らなくなり、エヌティティ!という声以外は快適な車内に生まれ変わった。
しかし、静寂の車内で、エヌティティ!という大声を聞かされるのは精神的につらいものがある。
油断していたらびっくりしてしまうので、いつも神経を緊張させておかないとならない。
僕は内心「次のバスにすれば良かった」と後悔しながら、エヌティティ!に怯えていると、頭の中を自然とエヌティティ!が流れていることに気づく。
そしてそれは不愉快な感じではなく、なんだかかっこいい響きでもあった。
その瞬間、頭の中に降りてきたのは「エヌティティ!と叫ぶことは、ものすごく新しいことなんじゃないだろうか」という感覚だった。
エヌティティ!は電話会社NTTのことだ。NTTは日本を代表する大企業で、その名前を誰が聴いても「おお〜大きな会社」と、みんな知ってる大企業。
しかしまた古い企業というとこもあり、フレッシュなイメージからは程遠い。NTTにいた人の話を聞いても、今の日本の縮図を体現してしまっている企業のようである。
そんな企業の名前が熱く叫ばれるということは、NTTという大企業には似つかわしくない。
そんな似つかわしくないことを、熱く心のままに叫ぶ姿を見て、「時代の最先端を僕は目の当たりにしているのかもしれないっ!」という興奮に包まれた。
鳥取から大阪へロックがやってきたのだ。