世界を旅したことがない プゲラッチョウに告ぐ

世界へでたことがないプゲラッチョウへ
このブログは、日本以外の世界へ行った事がない、プゲラッチョウへ向けて書くことにする。
それはもちろん、見知らぬ他国の地を踏むことで、僕はいかに楽しいことが多かったか、を伝えるためだ。
そして、他国へ短い期間でも、旅立とうと思ってもらうためのきっかけにでもなれば、と思う。
たけっし~が書いたこと
たけっし~が書いたこと
たけっし~が書いたこと
どうだ!
行きたくなっただろう?
ならないか!
こんな素晴らしい写真ぐらいで行きたくなるぐらいだったら、すでに旅立っているはずだ!
いきたくなっても、行動にはうつしていないだろう!
こんなブログを読む必要もない!
だが安心してほしい。
この文章を読んだ時、世界へでたことがなかったプゲラッチョウが、きっと旅立ちたくなるであろう!!
さぁ、それでは旅立つことでどんな「良いこと」があったのかを考えていく。
僕は旅に出たことでこうなった。
・今この瞬間を楽しめるようになった

今この瞬間とは、旅行に出てない通常生活のこと。
いつもの通勤道を歩いているときとかだ。
プゲラッチョウはいつも勘違いしている。
旅行に出るのは、「旅に出ている間だけ楽しむもの」だという風に。
ただ、数日間の楽しみのためだけに、数万円、数十万もの大枚をはたいて世界へ旅立つだろうか。
そんなわけはない!
ばかにしてもらっちゃぁ、困る!
旅はその期間を楽しむだけのものではない。
旅が本当に素敵なのは、普通の日常生活のそこかしこに、彩りを加えてくれることだ。
例えば、僕は夕焼けがとても好きだ。
仕事の合間に、たまたま観れた夕焼けほど綺麗で心が満たされるものはないが、僕が夕焼けを本当に綺麗だと感じるようになったのは、カンボジアで朝焼けと夕焼けを見てからだ。
アンコールワット 朝焼け
たけっし~が書いたこと
アンコールワットで見た朝焼けは最高に綺麗だった。
朝日が登るにつれ刻刻々々とアンコールワット遺跡の表情が変わっていく様は、地球を尊敬するためには、充分過ぎるほどのショーだった。
朝の五時なのにそこには観光客は死ぬほどたくさんいた。
だけどみんなで一つの方向を向いて「わんだほー」ってなってるのも、楽しかった。
夕焼けはトレサップ湖で見た。
雲が多すぎて夕焼けは全然やったけど、天使のリングと名づけた自然現象をみることができたことと、中国人といっしょに共感できるということを学んだ。
トレサップ湖
たけっし~が書いたこと
そこでは、同じく夕陽をみにきていた中国人観光客のグループがいて、虫よけスプレーを借りたり、英語で少しお話したりしていた。
でも、雲が多くて夕焼けなんて観れる状態じゃなかった。
中国人も僕も、変な遺跡を見るだけで、綺麗な夕焼けは諦めていた。
だけど僕は諦めずに、しばらく雲を眺めていた。
すると
たけっし~が書いたこと
雲と夕焼けの光が綺麗に合わさって、天使の頭のリングのような光が見えた!
おお!
雲の形がちょうどよく、ほんとに綺麗だ。
しかし中国人たちは、既に諦めて下山中。
この感動を見てもらいたい!との思いで僕は中国人たちを走って呼びにいった。
いっしょに下から走って戻ってきた中国人たちが
「おお~」って感動しているのを見て、
「誰とでも共感できる」
ということをリアルに体感した。
日本で出会う外国人は、日本に来ている時点で、日本人と親和することは容易なことだと思う。
全く僕と関係のない、日本と関係のない人と、同じように共感し合えるということは、大きな学びだった。
話がそれたが、
カンボジアでは本当に綺麗な朝焼け夕焼けを見れた。
もうあれほど綺麗な夕焼けは見ることはできないだろうと思っていた。
だが。
日本に帰ってからしばらく経ったある日。
神戸に遊びにいった帰り道
別に夕焼けを見に行ったわけでもなく、駅にむかって歩いてるところをたまたま振り返ったら、山をバックに空が綺麗な赤で染まっていた。
その夕焼けは、カンボジアとそっくりだった。
カンボジアのアンコールワットで見た朝焼けとそっくりやった。
この時、「夕焼けはどこも同じ」
なんだということを、「理解」した。
「知る」というのと「理解する」というのは違う。
本当の理解はやはり、五感を通さないとできないものだろう。
「話を聞いたことがある」
「本で読んだことがある」
これは五感のうち、耳と目しか使えていない。
しかも両方とも、五感のうち一つずつしか使えていない。
世界を理解するためには、土地を感じ、匂いを感じ、食べ物を感じる必要がある。
夕焼けはどこも似たようなものだ
というのと
縁のない外国人とでも共感できる
ということ。
もちろん基本的には「当たり前のこと」だ。
でもこの「当たり前のこと」を当たり前だと理解するということって、案外難しい。
そして、自分が理解できていない「当たり前のこと」って、意外と多いような気がする。
夕焼けは世界のどこでも美しいということを理解してから、
僕はどこでどんな状況下で遭遇する夕焼けにも、
カンボジアで見たときのような感動をすることができるようになった。
夕焼けを見るだけで、あのときの幸せな気持ちが再現できる。
夕焼け以外にも、空の雰囲気や、町中での匂い、飲み物の味を通して、
海外のどこかの状況と似ていると感じることがある。
それを感じているときは、その場の空間がどんどん拡張していって
そのまま世界のどこかへ通じていくような感覚になる。
つまらない景色でさえも、そこからイメージを広げていって、
あの時旅したあの場所を思い起こすことができる。
その思い起こせるストックが多くなるにつれて、まだいったことのない土地のこともイメージできるようになるかもしれない。
もはやそうなると、なんでもない道を歩いているだけで、世界へ飛んでいくことができてしまうだろう。
どれだけ数ある当たり前のことを、当たり前なんだ、と理解できるのか。
そこから、なんでもない日々の生活の一コマ一コマを、充実したものと感じることができるか。
それが、充実した人生を生きるための、秘訣のような気がする。
だから、充実した普通の日常生活を送るためにも世界へ旅にでて、色々な体験をしたらいいんじゃないかと思う。
どこへいったら良いかわからない?
来年四月以降(予定)に俺が居るモンゴルに来ればいい!
雄大な自然と馬で旅する楽しみが味わえるはずだ。
さぁ、プゲラッチョまんから卒業しようぜ!
たけっし~が書いたこと

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