※ネタバレあり
ストーリー的にはツッコミどころ満載だった。
だけど、そんなことはどうでも良くなるぐらい、久しぶりに爽やかなワクワクを味わえた。
ストーリー概説
地球に攻めてきたエイリアンに、その場に居合わせたアメリカと日本の海軍が協力して闘うというお話。
序盤は最新鋭のミサイル駆逐艦で闘うも、あえなく撃沈されてしまう。
もうその場に居合わせた船は全部やられてしまった。残るは、戦場になってるハワイに、式典や観光のために置かれた記念艦、戦艦ミズーリがあるのみ。
そしてそのミズーリを駆って最後の闘いへ挑んで行くというお話なんだけど、この旧型艦になってしまった、戦艦ミズーリを使って最強のエイリアンを倒す。
海戦の主役は
戦艦ミズーリは、日本だと戦艦大和と同じような位置付けになる。
大艦巨砲主義という言葉があった最後の時代。大口径の戦艦達が砲弾をぶち込みあって、最後まで沈まなかった方が勝利するために造られた。
だけど、山本五十六が真珠湾で見せたように、海戦の主役は航空機と空母へと移っていった。
直接砲弾を交わすような海戦は少なくなり、どちらが先に敵の空母を捕捉して飛行機を叩き込めるかがキーポイントになっていく。
戦艦の役割
海の戦士が憧れた、雨あられの砲弾が降り注ぐ中、果敢に接近して魚雷や大砲をぶち込み合って雌雄を決する「熱い」海戦は起こり得なくなってしまっていた。
そして、日本の戦艦大和は対した役にもたたずに、アメリカの航空機によって蜂の巣にされて沈んでしまう。
対するアメリカの戦艦ミズーリは兵器を換装したり、重要な戦争で旗艦を務めたりしたので、それなりに戦艦としての役にはたっていたかもしれない。
それでも、戦艦の一番の活躍どころは、互いの主力艦が一つのエリアに集結して大海戦を演じる時だ。
出来るだけ遠くから、出来るだけ大きな砲弾を、いくら敵弾を受けても沈まない。
戦艦というものは、このような場にこそ、その真価を発揮する。
まさしく戦場の主役であるはずだったのに、主役として活躍する間もなく空母にその座を明け渡してしまったのである。
汚名返上
だからこそ、このバトルシップという映画でエイリアンの巨大な戦艦と正面から砲弾をぶち込み合ったことに、戦艦がまさしくその戦艦たる役割を発揮出来た史上唯一の場であったはずだ。
その戦艦を操縦したのが、式典のために偶然居合わせ、もはや高齢のおじいちゃんになっているかつての乗組員たち。
そのおじいちゃんたちが、若いアメリカ軍人に昔風の厳しい言葉で指示をだして、戦闘準備を進めていく。
歴戦のおじいちゃん戦士、現役アメリカ軍人、主役のライバルでも合った日本の海上自衛官。
その因縁深い三者が、戦艦ミズーリを駆って一致団結、巨大なエイリアンを倒したということ。
かつての歴史を踏まえると、美しい一つのゴールに達した瞬間であったような気がする。
もちろん、映画のストーリーとかは変でおかしいことが山ほどある。
辻褄の合ったストーリー物としては、酷い映画であることは間違いない。
だがしかし、この映画製作者が成し遂げたかったメッセージは痛快に受け止めることができた。
メッセージ
・戦艦がその持てる力を全て発揮できる活躍の場を与えられたこと。
・かつての大戦を経た日本とアメリカが互いの持味を出し合って(日本はセコイ、ワザ師にしか過ぎなかったけど笑)エイリアンという大きな敵を倒したこと。
・第二次世界大戦を戦った老兵と現役兵が協力しなければ勝てなかったこと。
・アメリカ映画お決まりのパターン。
・海の主役が空母に変わり、現代はさらに遠くから安全に攻撃できるミサイル駆逐艦が幅を占めている。遠くからミサイルを撃ち合うだけというロマンのかけらもなくなった現代の戦争に、戦艦同士が正面切って叩き合うという最後のロマンを表現したこと。
・日本人だから感動できる
多分この映画は、アメリカ人より日本人の方が実は感動するのではないだろうか。
戦艦大和がなんの役にもたたずに沈んでしまったことに比べて、戦艦ミズーリは戦艦たる活躍が完全にできたわけではないけど、かなりの長期に渡って現役として参戦し続け、今は記念艦として耳目を集め続けている。
だからこそアメリカ人には、日本が国力を傾け国運をかけていた戦艦大和が全くその役割を果たすことなく散った悔しさはわかるまい。
一度の海戦結果によって国の運命を左右し、その海戦の主役をはるはずだった戦艦。
バトルシップは穴だらけの映画だったけど、こういうことを表現してくれたことに、僕は喝采をおくりたい!