映画「孔子の教え」 戦乱に生まれた思想だから価値がある

$たけっし~が書いたこと
まず、名前がいけない。
題名を「孔子」だけにしとけば良かったものを、「教え」をつけることによって、うさん臭さが倍増している。下手すれば何かの新興宗教の宣伝ビデオか、と疑ってしまいかねない。
そもそもこの映画を借りたのは、ツタヤで4本1000円キャンペーンで1本を埋めるための仕方なしだった。
だから正直全然期待していなかった。
逆にどれだけ孔子の教えを上から目線でうっとおしく伝えてくれるのか、というところに興味を持っていた。
そしてストーリーも別段珍しい話でもない。
孔子に詳しい方ならみんな知っている。
孔子が魯国を出て行き、諸国を巡り巡って、十数年後に魯国に再度迎え入れられる、といった話。
ストーリは至って普通だ。
しかし期待を裏切ってくれた。
面白かった。
映像の観せ方が上手い。
僕は映像に関して素人だけど、このカットによって何を観せたいのか、何を伝えたいのかが、すごく伝わってくる。
美しい映像とわかりやすいカットによって、戦国時代の中国の色々な表情を垣間見ることが出来た。
さらに、その映像表現と孔子の考えが妙にマッチしている。
孔子がただ正座して偉い人を待っているだけのシーンでも、孔子を捉えるカメラアングルの動き方から、孔子が表現したい静の考えを表現していた。
そしてもっとすごいと思ったのは、孔子がその時代においていかに特異な人物だったかということを描けていたところだろう。
孔子が生きた時代は戦国時代。
力と金と権力が一番の、実力至上主義の世界になっていた。
孔子は、こんな時代であっても礼や仁といった考えこそが、民の安寧と天下太平への道であると信じて行動していた。
しかし
礼と仁では飯は食えぬ。
礼と仁では兵士に勝てぬ。
といったリアルで厳しい世界を目の前に突きつけられる
その厳しい戦争にさらされている現実と、孔子の夢物語が激しくぶつかり合う。
孔子は時分の命がなくなっても時分の理想を違えることは決して行わなかった。
その決然たる姿勢を持って全身で君主である魯王を諌めるが、いざとなると人間は目の前に突きつけられた物理的な恐怖に対して従順になってしまう。
そして魯王は孔子の進言を退け、出奔することになる・・・
孔子の教えは論語にまとめられて今では気軽に読めるが、これを理解できる人間は現代では本当に少ないのではないか。
現実に兵火にさらされた人が読むからこそ、同じような世界にあっても孔子が貫いた礼と仁に感動出来るのだろう。
鬼気迫るものが身近に少ない現代社会では、「孔子の教えは良い言葉なんだけど、まあそれが出来たらいいよね」レベルの実感しか沸いてこない。
あの時代に生まれて現代にまで生き残った思想だからこその論語の偉大さというのを、改めて認識できた。
そんなことを、この映画を観て思う事が出来た。
おしまい。

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