ハリウッド版GODZILLA (ゴジラ)から見るアメリカの日本観

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ゴジラ誕生の背景は

ゴジラは原水爆の放射能が原因で生まれた怪獣とされている。最初のゴジラでは、アメリカが行ったビキニ環礁での水爆実験等によってゴジラが生み出され、放射能によって成長したゴジラという怪物が東京の町を襲うという設定。

放射能という目に見えないものを最大級の大きさで具現化したのがゴジラ。当時ゴジラを映画館で見た観客は、ゴジラが東京の町を蹂躙し、そして国会議事堂を踏み潰すシーンで大きな歓声を送ったという。その観客の心理には「日本は独立してもアメリカのいいなりではないのか?」という疑念に対して、戦後日本を象徴する国会議事堂をゴジラがめちゃめちゃに壊してしまうところに、強烈な開放感を感じたのではないだろうか。

”アメリカによって生み出された戦後日本を、アメリカによって生み出されたゴジラがぶち壊す”、このような自虐的な暗いルサンチマンもその歓声に含まれていたように思う。

※以下本編ネタバレあり

ハリウッドGODZILLAのゴジラ

さて、今回ハリウッドで作られたGODZILLAは、ゴジラをどのように描いているのか。劇中のゴジラはアメリカ人にとって神のように扱われている。GODZILLAは、地球の均衡を崩す生物(今回の2匹のMUTOという怪獣のように)が現れると、それを駆除して地球上の均等を保つ神のような存在として描かれている。この設定にアメリカらしい割り切った爽やかさを感じた。

自分たちではどうすることもできない日本人がゴジラに託した暗さはどこにもなかった。

ハリウッドの日本観

映画は、今回ゴジラの敵となる地球の均衡を崩す怪獣MUTOが、地下で日本の原発から放射能を食べて成長していくシーンから始まる。怪獣が放射能を食べて成長している間は、研究のためと称して、ある組織が日本の警備と庇護のもとに研究を行っていた。だが怪獣MUTOは無事(?)成長して施設をめちゃめちゃに破壊してアメリカへと飛んで行ってしまった。その後めちゃめちゃになった施設にアメリカ軍がやって来て「この施設はアメリカ軍の管理下におかれました」となる。「日本の管理能力の無さが原因で、アメリカに迷惑がかかったからこれからは我々アメリカ軍は管理しますよ」という構図になっている。この構図は、太平洋戦争で日本が戦力を管理できなかったがために無謀な戦争を行って敗北。日本はアメリカが統治しないとダメだという戦後日本の姿と重なっている。

渡辺謙の想い

その一方、ハリウッドの良心(?)もあった。

「ゴジラと怪獣MUTOをまとめて核兵器でやっつける」という作戦をするアメリカ軍の司令官に対して、渡辺謙がある形見の時計を見せるシーンがある。

「この形見の時計は、1945年8月6日午前8時15分から止まっています。この時計は私の父の形見です」

広島に投下された原爆の時刻をさしたまま止まった時計を見せることで、「我々日本人は原爆の痛みを忘れていない。これ以上あの爆弾による被害者を増やすべきではない」というメッセージが込められている。

また渡辺謙は、ゴジラが発見されたときに「ゴジラ」と言うセリフがある。この言い方もアメリカ的な「ゴジラ(↑)」ではなく、日本の発音で「ゴジラ(→)」と言っている。この言い方は渡辺謙のこだわりであったようだ。ゴジラは日本が産み出した怪獣であるし、その誕生の背景(アメリカの水爆)をも含めて日本が産み出した「ゴジラ」だということを、この日本流の発音によって、ゴジラの心までもアメリカに譲ることを阻みたかったのではないだろうか。

アメリカだからこそ作れた

去年私がモンゴル滞在時に英語版ゴジラが上映されていた。その時韓国人の友達がゴジラをモンゴルの劇場でみたが「全然面白くなかった」と言っていた。これはある意味当たり前の反応だろうと思う。日本人とアメリカ人以外にゴジラの物語を理解することはできないと思うし、もし他国がゴジラを作ったら、とんでもないちんぷんかんぷんな、「ただ怪獣が現れた」というメッセージしかない映画になってしまうであろう。

ゴジラの背景を少しは理解している(当事者でもある)アメリカだからこそ作れたゴジラであり、また何年か先にもしアメリカがまたゴジラを作るとしたら、ぜひ見てみたい。でもそれより前に日本のゴジラが見てみたいけど。

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