エスカレーターの立つところと手を添えるところのスピードが違うことについて
何かに反抗することでしか自分というものをアピール出来なかった小学生時代の僕は、生まれて初めて立ち向かうことになる文明の利器「エスカレーターの手を添えるところ」への反抗を考えていた。
僕はその反抗を試みることで、エスカレーターという文明の利器に戦いを挑み、自分は機械よりも強いことを知ることが出来るのだと、おぼろげながら思っていたかもしれない。
そして、おばあちゃんに連れられていった百貨店にてその反抗を始めることにした。
ぼくは進行するエスカレーターの立つところに立ちながら、エスカレーターの手を添えるところの速度を緩めるべく、全力で右手を後ろに引っ張る。
でもおばあちゃんの手前、周囲からは、小さくて賢そうな子供が、そんなイケナイことをしているなんて思われることを防がなくてはならない。
僕はすまし顔で、右手は全力で、エスカレーターの手を添えるところを強く後ろへひっぱった!
ギギギ・・・
という音の出ることはなく、しかしエスカレーターの手を添えるところの速度には変化が現れた。
なんと、手を添えるところの速度が落ちたのである。
まさに一人の小学生が、文明に勝利した瞬間だった。
それにつられて同じエスカレーターに乗っているおばさん達が添える手も、エスカレーターの手を添えるところにあわせて徐々に後ろへ下がっていくではないか!
勝利に酔いしれていたまさにその時、異変に気づいたおばあちゃんが疑うそぶりをみせ、後ろを振り向こうとした。
瞬間、僕は力をいれるのを止めた。
「こらっ、たけし!」
でもばれてしまったが、僕は知らんぷり。
そのまましらを切り通し、小学生の僕は念願のおもちゃ売り場へ向かった!!
こうしてエスカレーターに勝利してから、僕はある変化に気づくようになった。
「エスカレーターの立つところと手を添えるところのスピードが違う」
ということに。
人が気持ちよくエスカレーターに乗っているためには、エスカレーターの立つところと手を添えるところの速度が同じでなければならないはずだ。
速度が違うとなると、たちまち体のバランスを崩してしまい、とても危ない。
手を添えなおすという余計な手間をかけさせる。
だから危ないはずなのだが、あちこちのエスカレーターでその速度が違うことに気づいた。
大抵、エスカレーターの手を添えるところの速度の方が早くなっている。
いつも、そこへ添えた手だけが先に進んでしまうので、手を離して添えなおさなければならない。
最初は速度の設定ミスか、と思ったが、こういうエスカレーターの数が多かったので、何か速度を変えていることに理由があるのでは?と思い始めた。
まず思いついたのは、速度を変えることで注意力を持ってもらう、ということだ。
もしエスカレーターにぼーっと乗っていると、頭上にお気をつけくださいの標識に頭をぶつけたりしてしまうし、何かと危ない。
それを避けるために、手を添えるところの速度を変えることで、エスカレーターへの注意を継続して持ってもらうためではないだろうか?
エスカレーターに対して意識を持ち続けてもらうことで、起こりうる危機を未然に防止しようという魂胆だろうか。
日本では、モンスタークレーマーを代表とする◯◯モンスターが増えた。
このエスカレーターも、エスカレーター事故を減らすための作戦なのか?
いや、でもそうすると
「速度が違うせいでこけた!」
というクレームが起きる気がする。
全くモンスター対策になっていない。
逆にここぞとばかりに、モンスターを発生させてしまう。
うーむ。
あ、まてよ。
モンスターといえども、人の目は気になるはずだ。
公衆の面前でこけた上に、店員に「エスカレーターのせいでこけた!」
なんて大爆笑必死の恥ずかしいクレームをするだろうか。
あまり想像できない。
やはり、エスカレーターの立つところと手を添えるところの速度を変えることで、エスカレーターへの注意を引かせて事故を防止させるために、やってることに違いない!!
僕が、エスカレーターの手を添えるところを引っ張ったがゆえに、あちこちのエスカレーターが遅れ出したなんていうことはないはずだ!