Twitterをみていたら素敵な言葉に遭遇しました。
「ヨーロッパは時間を記憶の器として残せる都市」-光嶋裕介さん(建築家)
なかなか深そうな言葉なので僕が理解できているか不安ではありますが、とりあえずこの言葉から受けた印象として
「ヨーロッパは歴史(時間)を建物や本(記憶の器)で残してきたところ」と捉える事ができました。
確かにヨーロッパといえば誰しも「一度は行ってみたいところ」であるとおもいます。レンガの町並み、石作りの大きなお城、巨大な聖堂・・・
僕も塩野七生さんの本をよく読んでいることもあって、ヨーロッパには惹かれる事がたくさんあります。
一方モンゴルはどうでしょうか?
モンゴルにも歴史的な建造物等はありますが、どの歴史的な建物もおおよそは風化に任せて放置されてあるものが一般的です。もちろんハラホリンやモンゴル各地には歴史的な物がありますが、ヨーロッパに比べれば無いようなものでしょう。
なぜそういった歴史の遺物が少ないのかというと、モンゴルの文化に大きく関係してきます。
モンゴルで遊牧を生業にしてきた人々は昔から「物を残さない人々」でした。常に移動するというのが人々の根本にあるため、物を残しておくという考え方はともすれば「自然を汚す悪いこと」とも考えられていました。
ハルバルガス遺跡の中から。ウイグル帝国の宮殿がありました。今は城壁の跡しかのこっていません。
じゃあモンゴルの遊牧民には歴史が無いのか?
というと、そうではありません。モンゴルの遊牧民は、建物や本に歴史を詰めることをしない変わりに、「人」に歴史の記憶を残してきた人々だとおもいます。今まさに現代のモンゴル草原で営まれている「遊牧生活」の中に、祖先が考えだしてきた遊牧の知恵が脈々と受け継がれています。それは全く歴史を守るためにやっているとかそういうことではありません。遊牧をするにあたって受け継いできた遊牧の知恵が必要で効果のあることだから受け継いでいるに過ぎません。
そう考えるとモンゴルの遊牧民は、普通に歴史の中で生きている人々と言えると思います。
僕がモンゴルで感じてきた「モンゴル人のよくわからない人間の大きさ」というのは、歴史がその人の中でリアリティを持って生きているからなのかもしれません。
モンゴルに初めて旅行する人は「自然をみたい」ために行く方がほとんどです。でもモンゴルへリピーターでくる人のほとんどは「モンゴル人に会いたい」と言います。
歴史が人の中に息づいているモンゴルというところには、ヨーロッパと違った深みがあるところですね。