日本からモンゴルへは飛行機でわずか5時間。
実際の近さとは裏腹に、モンゴルはとても遠いところというイメージがある。
僕も2012年のお盆休みに始めてモンゴルを訪れた時、「どこでもいいから遠くへ行きたい」とHISの店で相談したらモンゴルを紹介してもらったことがきっかけ。
その後、あのモンゴルの青空が忘れられず、2013年から1年間モンゴルへ留学することになる。
モンゴル留学へ
モンゴルへ留学するときは、日本には戻らないつもりだった。
モンゴルには友達も知り合いも誰もいなかったし、モンゴル語も何もしらなかった。
空港からのタクシー運ちゃんに「ありがとう」を伝えるために会話帳を開いて伝えたぐらい何もしらなかった。留学斡旋企業からもらった、モンゴル語で書かれた行き先を示すカードだけが頼りだった。
先が全く見えない暗黒世界へいくのだと思っていた。
学生寮に着いてみると、日本人たくさんいるし、海外からの若い学生もたくさんいてびっくりした!
「なんだ、モンゴルって普通のところじゃないか」
と拍子抜けして一気に楽になった。
なぜモンゴルは遠いところというイメージがあるのか
義経伝説が原因のひとつではないかと思う。
平泉では死なずにモンゴルへ渡ってチンギスハーンになったという義経伝説。
優れた武将だった義経が遠いモンゴルの大地を席巻しているという話は、モンゴル人に話すと一笑に付されてしまうが、日本人のロマンがそこにはあると思う。
なぜ義経がモンゴルのチンギスハンになったのか。
チンギスハンがモンゴル帝国を作ったというのが一番の理由だと思うけど、もう一つ理由がある。
想像できる遠さの限界点がモンゴル
日本人が大きな世界ではなく、同族が住まう世界を思い浮かべた時に、モンゴルは一番遠いところに位置しているのではないか。
モンゴルという場所は、想像するとなんとなく霞みがかった草原が浮かんでくるところだろう。
リアルな肌感として想像できる世界の一番遠いところがモンゴルなのだ。
義経がフリードリッヒ大王とか、ピョートル大帝とかになっていてもピンとこないし(そもそも時代が違うか)、なんか想像できない。
でもモンゴルのチンギスハンならなんとか想像できる!
義経がチンギスハンとなって騎馬武者を率いて国を征服していく姿を、おぼろげなものながらもなんとか絵として想像できる。
義経という不遇に死んだ優秀な若者が、悲劇的な姿を最も劇的なものとするために、我々日本人が想像できる、最も世界の果ての地で大活躍している姿の痛快さ、義経伝説が受け入れられた一番の理由ではないか。
日本人にとって、体温が伝わってくるところの最果てがモンゴルであり、同じ人種と体が理解できる最果てにモンゴルが存在している。
僕がいつもモンゴルへ行くのは、一番遠い故郷へ行きたいからであり、一番遠い親戚に出会いたいからであると思う。
僕にとってアメリカやヨーロッパなどは異世界だ。どれだけ遠いとかは関係なく一律の異世界として存在している。自分の世界が通用しない(かもしれない)ところは全部一律の距離にある。
そんな中、モンゴルは自分の世界が通用すると思える一番遠い場所であり、心の故郷になり得る一番遠いところだ。
日本人にとって世界一遠い郷こそモンゴルなのだ。