語れぬモンゴル

モンゴルについていくつかブログを書きましたが、見回してみるとどれも旅行記ばかりです。

「自然が綺麗」「空が青い」「馬が気持ち良い」といった上っ面の感覚ばかりしか文字化出来ていません。

モンゴルについてもう少し深く迫ってみようと試みた回もありましたが、後が続いていません。

結局書けない。モンゴルで感じたことについて、ほとんど何も書けていないし、出会った人に対して言葉でも伝えれていない。

いわゆる「自然が良かった」しか伝えていない。自然が良かったという言葉を聞いて思い浮かべるイメージの延長線上までしか到達出来ていない。

僕がモンゴルで感じたのはこういう事じゃありません。

モンゴルを語るに当たって「自然が良かった」という言葉は全くその通りなんですが、おそらくモンゴルを知らない人がそこからイメージする範囲の中には、語りたいことが含まれていない。

モンゴル人と結婚した久子さんの家でルームシェアさせてもらっていた時に、お酒を飲みながらよく話しました。

「なぜモンゴルへ?」

久子さんとは、モンゴルでの今までの体験や日本での生活まで色々とお伺いしましたが、その内容を僕はさっぱり覚えていません。

たぶんその話している事が本当のところよくわからなかったからだと思います。
なぜモンゴルへ来たのか話していてもよくわからないけど、久子さんの表情や隣で遊んでいるナランくんを見ているとよくわかる。

話しだけではわからないけど、モンゴルにどっぷり浸かっている人の佇まいに接しているとよくわかる、この感覚がモンゴルなんだと思う。

この感覚は、人と接してはじめて生まれるものであって、語ることはできないのであろうか。

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コメント

  1. 仁宮 早苗 より:

    初めまして。「モンゴル」「乗馬」でこちらのブログにたどり着き、記事を楽しく読ませていただきました。

    「語れぬモンゴル」そうなんですよね。初回のモンゴルが2001年10月でしたが、夕暮れに小高い丘の上から馬に乗ったまま見下ろした真っ赤に染まった大地。そのとき感じた突き上げてくるような感動が何だったのかいまだに分からずにいます。大袈裟ですが初めて地球の鼓動のようなものを直に体に感じた。そういう感覚でした。

    モンゴル滞在は「アフリカの日々」でディネーセンの語る「しばらくの時を空の高みで生きていた気がして」といった表現に似たものかもしれません。

    この5月にツォクトさんのゲルでお世話になり、来月また訪問する予定です。7年前の落馬で少々馬に乗るのが怖くなっていて、今回もゲル滞在だけにしようかと思いましたが、やはりあの気持ちよさをもう一度感じたくてまた少しずつ慣らしていこうかなと思います。

    これからもモンゴルのブログを楽しみにしています。
    長文失礼しました