モンゴルはフブスグル、世界で二番目に透明度の高い湖に滞在していた時、若いフランス人夫婦と二日間同じ家で寝泊まりしたことがある。
その家はフブスグル湖の漁港ハトガルから馬で30分ほどのところにある、大きな山が後ろに佇んでいる自然のど真ん中にある。
モンゴルらしい広々とした草原と、なだらかな丘が向こうまで広がっていて、とても気持ち良い場所だった。
その家のモンゴル人家族構成は、父親、母親、娘と手伝いに来ているツァータン族の青年、そして犬と家畜。
最終的にはツァータン族の青年と、つまらない思い違いが原因で喧嘩をしてしまい、ブチ切れたまま家を飛び出して馬で30分あるところを荷物を担いだまま三時間ぐらいかけて一人で歩いてハトガルまで帰ってしまったが、ここでは関係ない。
そのフランス人夫婦は、二年間世界を貧乏旅行している途中だった。
美人で暗いオーラを持つ女性と、好青年でちょっとビビりな男性という夫婦。二人とも僕より若かった。
二人は当然モンゴル語が出来ないので、僕が英語とモンゴル語間の意思疎通をしていたが、だいぶ適当だったと思う。
僕はモンゴルへ来た当初、「モンゴル語が話せない以上、意思疎通の手段は英語のみ」という事実を突きつけられたせいで、なんとなくは英語を話せるようになっていた。
その夫婦と二日間一緒にいたと言っても、僕はいつも馬で遠出をしていたので、一緒にいた時間は思い返せば少なかった。
一度、「あの丘に行って景色を見よう」と、家畜の糞を踏み分けながら10分ぐらい歩いて行って結局林に遮られて何も見えなかったことがあったぐらいで、一緒に何かをしたという記憶はない。
でもなぜか、「モンゴルに外国人が来た」という嬉しさをすごく感じたことは確か。僕はモンゴルデールを着て、モンゴル料理を普通に食べ、モンゴル語で会話をしていたので、なんとなく自分が「こっち側の人」のように思っていた。むろんモンゴル人はそんなことを思っていなかったはずだが、自分はそのような気持ちを嬉しさと「どうすればこの場所にもっとお客さんが来てくれるのか」ということを自然に考えていた。
結局考えていただけで、最後は喧嘩をして出てきた訳だから、「こっち側」もへったくれも無いわけだが、今となっては良い思い出である。
モンゴルで会ったフランス人について書きたかったはずなんだけど、書いている途中に結局あまり書くことがないことに気づいてしまった。
これ以上書くと、思い浮かんでくるのはフブスグル湖の悪口ばかりになってしまいそうなので、この辺でやめておこう。