回想のホブド

ホブドはいいところだった。

でもホブドの佳さを人に語ってもさっぱり通じている気配がない。

会話らしい会話をほとんどしていなかったのに、別れた後に涙が止まらないなんて意味がわからないし、僕も何故かわからない。

お別れ宴会の時に、宿泊したゲルのお母さんの言葉が、早口のモンゴル語で全然意味がわからなかったにも関わらず、胸にドーンときて泣きそうになったのも、何故かわからない。

でもたぶん、これこそモンゴル人が古来から持っている魂なんだと思う。

去年一年間いて感じることのなかった感動をホブドで触れることができたのは、自分の側にその魂に触れることのできる心が出来ていたからじゃないか。

たぶん、今までモンゴルで出会った人々にも同じような魂はあったはずだが、僕の側に準備が調っていなかったから感じることができなかったんだろう。

個人的には”敗北のホブド”と言うこともできるこの場所で、モンゴルの魂に触れることが出来たことに感謝したい。

ホブドにて、良くも悪くも自分の中で”理想のモンゴルは完成した”感慨がある。

一つ間違いないことは、このホブドの良さを文章にすることも、写真にすることも、映像にすることも、出来ないということだ。

日本に帰った後、「モンゴルで何が良かった?」と聞かれた時に間違いなくホブドの話をしてしまうと思うが、おそらくさっぱり伝わらないだろう。

でもこの”伝わらない”という感覚だけは伝わるはずだ。

この”伝わらなさ”だけでも伝われば御の字だろう。

「伝えられないものがある」
モンゴルを感じさせてくれたホブドに”ありがとう”と言いたい。

そして”さようなら”も・・・

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