モンゴルは「ありがとう」を使う頻度が実は低い国です。
日本のように、なんでも「ありがとう」と言うのはモンゴルでは失礼にあたることも・・・
ではモンゴルではどういう時に「ありがとう」を言って、どういう時に言ってはならないのかについて考えていきましょう。
親しい人にはありがとうと言わない
モンゴルでは家族や親戚や親友などの親しい間柄で「ありがとう」と言うことはあまりありません。
コップをとってもらった、お茶を入れてもらった、ご飯を作ってもらったぐらいでは「ザア」(はいはいのような意味合い)で済ませてしまうことが多いです。
もし、親しい間柄なのに簡単なことで「ありがとう」を言われてしまったら、疎遠になったような、これから別れ話を切り出されるのではないか、といったような心配を起こしてしまいかねません。
それぐらい親しい間柄では「ありがとう」という言葉を言う機会は少ないのです。
「ありがとう」と言うのは本当にありがたい時に使うことになるので、数万円単位のお金を貸してもらった時、ご飯を奢ってもらった時、まあまあ大変な仕事を手伝ってもらった時などに言うことが多いです。
田舎の遊牧民に対しても、家族や親戚と同様に「ありがとう」と言わないことがほとんどでしょう。
田舎の遊牧民に対して「ありがとう」と言うことは、こっちの世界にこないでといったような意味合いになる場合があります。
同じゲルで同じお茶を飲んでいるのに「ありがとう」と言うとはなんて寂しい人だ、と思われるかもしれません。
ただ、都会では知らない人や店員などの人に対しては、小さなことでも「ありがとう」と言う風潮があります。
都市化によって、店の人にありがとうという感覚が広まった
ウランバートルなどの都市部では、外国の映画で「ありがとう」と言い合っているのをみて、「ありがとう」と言うべきなのかもというイメージが広まっているようです。
ウランバートルで生活するモンゴル人に聞いたところ、こんなことを言っていました。
「店のおばちゃんにありがとうといって、ズゲール(大丈夫)と言われるとイラっとする」
「知り合いでも親しい間柄でもないんだから、ここではお互いにありがとうと言い合って欲しい」
僕はモンゴルでは都会でも、知らない人や店員に対しても「ありがとう」と言うことはほぼなくなっていましたが、都会のモンゴル人の話を聞いて少しは「ありがとう」と言わなければいけないかな、と思い始めているところです・・・
「ありがとう」と言わないから発生する責任
僕は「ありがとう」と言わないことによってお互いの間で発生する互いの立場を前進させる責任が好きです。
この責任は、「ありがとう」と言わないことによって二人の世界が正しく前進するように私も努力しますという意味になります。これは「ありがとう」と言うことよりも重いことだと思います。
例えば店員がビールを持ってきて、私が「ありがとう」と言わないのは、店員という立場の人に対して、客という立場の自分が、店員にとって良い客を演じ続けなければいけないという責任になります。
僕が「ありがとう」と言ってしまうと、この責任は発生せず二人の関係は一旦終了します。
「ありがとう」を言わないことで、こちらが多くの恩恵を受けている状態になることで、私が店員に対して二人の世界を維持発展させる責任が発生するということになり、これは原理的には未来永劫どちらかが死ぬまで続くことになります。
責任がモンゴルと関係が続く理由
もちろん店を出たら忘れてしまうわけですが、店員から店に対して責任が移動するということになります。
そしてモンゴル国を出国して日本に帰ってくると、店からモンゴル国に対して責任が移動します。おかげで日本に帰ってからも、モンゴルに対する責任を果たすべく日夜モンゴルのことを考えて、こういったブログを書くことになります。
僕は「ありがとう」と言って関係を終わらせるよりも、言わないことによって言葉以外の力でお返しする方が好きですね。
やっぱり僕はこれからも、店員や知らない人に対して「ありがとう」と言わないかもしれません。
でも「ありがとう」と思っていないわけではないんです!
必ず何か他の力によってお返しします!
以上、モンゴルでは「ありがとう」と言わない話でした。