自分探しの旅の結果、自分を見つけてしまうとどうなるか? … 答えは、「死んでしまいます」

「自分探しのたびで自分が見つかると死んでしまう、ということ。」
いつぞやの自分のメモに上記のようなことが書いてありました。
「自分が見つかると死んでしまう」というのは、
どういうことでしょうか?
何を思って僕はこんなメモを残したのか?
考えてみたいと思います。
まずは、自分探しの旅の定義からはじめます。
自分探しの旅って何?
ステレオタイプに語られている自分探しの旅っていうのは下記の通りです。
「現状に不満のある人がある日、今いるところを飛び出して未知の世界へ旅立ち、未知に触れることでまだ見ぬ自分というものを発見しようという試み」だと思います。
それに対するステレオタイプな反論として、下記のような意見があります。
「現状が嫌で逃げ出したような人間は、どこかで何かに辿り着いたとしてもまた、そこを逃げ出してしまう。
結局そのような自分探しの旅っていうのは、自分を受け入れてくれる他者や環境を探し求めているだけで、根本的に何の解決にもならない。
そもそも環境を変えて自分を探そうなんていう考え方をしている時点で、ロクな人間ではないのだ!」
とまぁ、こんな感じだと思います。
僕個人的には「人間ってそんな単純ぢゃないよね」って思ってるので、
「好きなようにすればいいやん」
と思っています。
ただ、好きなことをやるためには一つだけ原則があって、「他人に迷惑をかけるなら大義が必要」ということだけ守れるなら好きなことをしても大丈夫だと僕は考えています。
とりあえずそういうことで、話を進めます。
自分探しをしていて自分が見つかると死んでしまう、っていうのはどういうことか?
自分探しをするということは、現状に不満があるということです。
自分探しをした結果、もし満足できる自分というものが見つかるとすれば、それで問題ないと思うかもしれません。
だけどちょっと待ってください。
そもそも、自分なんていうものを見つけた状態っていうのは、想像できません。
ただ単に僕の頭が乏しいだけかもしれませんが、なんとなく自分を見つけた人っていうのは、人間ではないような気がします。
おそらく人生において、自分は何者なんだろう?ということを探求し続けることそのものが、人生なんではないでしょうか。
だから多分、自分を見つけることなんてできやしません。
理想の自分なんて見つかりません。
見つかったと思っても、また新たな理想像がすぐに浮かび上がってくるはずです。
そしてまた旅に・・・
自分を探すという欲望に終わりなんかないと思います。
そのことを踏まえた上で、自分を見つけた人っていうのが存在するとすれば、どうなるでしょうか。
僕は自分を完全に見つけてしまった人がその後にとる行動は、「死」以外にないと思います。
完全に自分というものがわかってしまったら、おそらく生きる理由もなくなるような気がします。
もう自分を見つけたんだから、生きる意味なくね?となるんじゃないか。
かなり無理やりですが、要するにこれは「死ぬほどあり得ないこと」だということです。
人間というものは、自分を探し続けるという動きの中でしか生きることができない。
一度その動きがストップしてしまうと、もはや人間ではなくなる。
人は自分を探し続けることで生きていくことができているにもかかわらず、それを直線的に求めようとする不可解さ、ありえないことを夢想するその愚かさ、そのあたりが自分探しの旅に批判が集まる原因だと思います。
というわけで、
「自分を見つけてしまったら死んでしまう」ということが、
「自分を見つけるということは死ぬほどあり得ないことである」
ということをご理解いただけたと思います。

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