お題 ビールがうまくなるには、ビールへの「信頼」が必要である!
ビールは、始めて飲む人には本当に苦い飲み物です。
本当に苦い。
なんであんなものを大人たちはうまそうに飲むのか?
ビールが飲めない人には理解ができません。
理解できないからこそ、その苦さというものを克服し、ビールを美味い!と感じで大人になるということは、皆が通る大人への階段になっているのです。
お酒が飲めない人は、多分大人になるために別のみちを通ることになります。それは恐らく、
ビールが飲めるようになることよりも複雑なことでしょう。
取り敢えずここでは、お酒が飲める人に限定して話を進めていきます。
・ビール道(びーるどう)
誰しも大人を真似て始めてビールを飲む時は、「にがい!うげー」ってなると思います。
始めて飲んだビールの一口目の苦さにビックリして、そろっと舌の上で確認するように飲もうとすると、さらに苦い。
「苦すぎるんだけど、なんで大人達はあんなにうまそうに飲み干せるのか?!」
ということが不思議でたまらなくなります。
‘舌の上でちょろっと舐めただけでも苦いのに、一気に飲み干すなんてありえない。。’
大人の行動が全く不思議でならないでしょう。
しかし、ビールは美味い飲み物です。
この旨さがわかった今から考えれば、あの時にビールの旨さがわからなかった自分がなんとも可愛く見えてきます。
「苦い」から「美味い!」になるまでには、どのような飛躍があるのか、またそれが大人になることとどんな関係があるのか、
それについて今回は考えてみます。
大人になるための飛躍とは何でしょうか。
それは
「信頼」です。
ビールへの信頼です。
ビールは美味い飲み物だ!という信頼のことです。
そのビールへの信頼があるから、ぐびぐびと一気に飲み干すことができるようになるし、そこには苦さへの不安といったものは存在しません。
ビールという、今までの飲み物とは同じ次元で語れない異質なものをまず信頼する、というところから、大人への階段が始まります。
どういうことかと言うと、
ビールが飲めるようになるためには、まず最初に「ビールは美味い飲み物だ!」ということを自分に思い込ませなければいけません。
ビールを旨そうに飲む大人達が良いお手本です。
自分もあのように美味いビールを飲みたい!と渇望し、そのためにはまず自分からビールを受け入れるという姿勢を示さなければなりません。
ビールからこちらに寄ってくるのではありません。
あくまでも、自分からビールを求めるということ、つまり初動は自分です。
ここで要するに、何事も自分から動かなければ、良い未来というものはやってこないのだ、ということに気づきます。
そんなことは当たり前かもしれませんが、自分で行動した結果わかる平凡な答えというものは、必ず自分で行動して身に体験しないことには、体の深くに根付かせることはできません。
教訓は、自ら動け!です。
さあ、自分から行動することの大切さを学びました。
しかし、ビールを飲めるようになることで学べることはまだあります。
それは、飛躍力です。
飛躍とはどういうことでしょうか。
ビールというものは、喉のおくへまで一気にビールを流し込み、ゴクゴクしたのどへの躍動感と共に麦の旨味を味わうものです。
こういう、いままでの飲み物とは少し違ったところに、ビールの旨さは存在します。
それまでに飲んできた、水やお茶やジュースやみっくすじゅーす等は全て、喉の渇きを癒すことと、味わうことがメインの飲み物たちでした。
それと同一線状でビールを飲もうとすると、誤ります。
そこに、ビールを旨く感じるための、大人になるための飛躍が隠されています。
今までの飲み物にあった、味・渇きを満たすことに加えて、「のどごし」という第三のポイントが出てきます。
これは、「今まで飲み物は味と渇きを潤すもの」という長年の経験を裏切るものです。
しかもビールは、最初から味を求めることはできません。
味を求めると、苦さが全面に出てきてその苦味にノックアウトされてしまいます。
ビールの旨さを感じるには、まず今までになかった、「のどごし」を感じるところからスタートせねばならないという、今までの飲み物経験とは全く異なる文脈で捉えなければいけません。
これは、ビールの旨さを知ってしまった人には思い出すことは困難でしょうが、ビールが飲めない人にとっては、「のどごし」を理解することはかなり困難なことです。
ビールというものは、美味しいものだという信頼を頑張って行うことを求め、未だかつて経験したことがない「のどごし」をも美味いと感じなければならないという二つのパラダイム転換を求めてきます。
察しが良い方はもう気づいていると思いますが、ビールへの信頼というものは、ビールを一気に飲み干すために必要不可欠な要素になっています。
おっと、ここまで書いてきて、あることに気づきました。
それは
「炭酸を飲んだことがある人は、のどごしは経験しているのではないか」
これは、かなり痛い点です。
僕がコーラとか炭酸が苦手だったのもあり、炭酸でのどごしを味わっているという経験を考慮することがすっぽりと抜け落ちていました。
しかし、こんなことで僕の論理は破綻させません。
その理由は、ここの文章へこのことを、書いたことからもわかります。
僕は文章を書く前から、その破綻はカバーできるものという算段が無意識的に立ったから、文字として書こうとしているのです。
(立ってなければ気づいても無視します)
さあ、コーラ等の炭酸から得る「のどごし」とビールから得れる「のどごし」の違いを説明しましょう。
その違いを簡潔に書くと、両者の「複雑さ具合が違う」ということです。
コーラ等の炭酸飲料は、基本的に水と砂糖と炭酸と味付けで、できています。
単純です。
炭酸飲料を始めて飲む人は、その炭酸という未知の体験”だけ”を乗り越えれば良いのです。
それは、難なく乗り越えることができるでしょう。
しかし、ビールは違います。
ビールは複雑です。
味も麦だし、泡があるし、みんなで飲まないといけないし、新人は芸をしないといけないし、一気飲みも時にはしないといけないし、お酌もしないといけないし・・・そして、アルコールも入っています。
ビールを飲むということは、社会通念まで絡んでくる、まさに複雑怪奇な体験であると言えるでしょう。
ビールをうまいと感じれるために乗り越えなければならないその他の情報が、コーラに比べて格段に多いことに気づきます。
コーラによって既に炭酸を乗り越えている人は、炭酸部分の刺激は考慮しなくて良いので楽かもしれません。
しかし、あらゆる要素が複雑に絡み合ったビールを飲むという体験は、複雑体を構成しています。
それを受け入れるためには、その未知なる体験を一つ一つ潰していくか、もう一つあります。
それは、まるごと取り合えず受け入れるという方法です。
まだわからないことはたくさんあるけれど、まるごと受けいれて自分の中において置き、時間をかけて噛み砕いていくという方法です。
これは、わからないものをそのままにしておく大変知的なソリューションであると、内田樹さんがよく言っていることです。
ビールを飲むという複雑な体験を、まるっと受け入れる。
そういう複雑な事をとりあえず受け入れておくという事が出来るようになることが、大人になるという飛躍力ということです。
とりいれた体験を、ゆっくり咀嚼していき、いつかビールの旨さを全身で感じることができるようになり、その喜びでもって、大人になるということへのゴールとすることができるでしょう。
もちろん、その先には成熟した大人への道が横たわっているはずですが、僕の前には現れてこないので、よくわかりません。
ビールを飲むことで、自分から動かなければ何事も進まないという経験を取得し、複雑な事をとりあえず受け入れておくというソリューションまでも得ることが出来ます。
大人として仕事をしていくためには、不可解なことをとりあえず受け入れておいてから、タイミングを見て解決していくという事が、多々あります。
仕事は、複雑な問題にぶち当たっていきなり解決しようとしたら、余計にこんがらかるようなことばかりです。
「とりあえず受け入れておく」という大人なソリューションを、ビールを飲むことで身につけられるなんて、すごいですね。
大人の社会って、よく出来ていると、この文章を書いていて思いました。