封筒DMがすごいうっとおしいというただの愚痴

最近、封筒DMが増えた。
封筒DMとは、何気ない封筒の中に、不特定多数へ送られるただのDMが入っているもののこと。
SoftBankからの請求書や銀行からの案内、等の大事な郵便物が大抵封筒でやってくることを利用したDMである。
「封筒が届いたから中身を確認しなきゃ~」
という心理を突いたものであり、
封筒は大事な郵便の場合が多いという先入観を利用している。
全くもって、消費者を小馬鹿にした、ふざけたDMのやり方だと思う。
確かに、ペラ一枚でくるただのチラシに比べて封筒DMの場合、開けて中身を見る確立は高い。
何回か騙されるまで、必ず開けて中身を確認してしまうだろう。
消費者に認知されるという面では、封筒DMは効果の高いものであることは間違いない。
だけど、認知された上で購買行動に繋がるかというと、その確率はかなり低いはずだ。
「封筒は自分にとって大事な郵便」
ということを利用して、勘違いさせることによって中身を確認させる手法の封筒DM。
人の勘違いを利用したこのDMをみて、ただのDMだということに気づかされた時の落胆度合いは半端ない。
大事な案内かな?と思って開けた時にただのDMだったことによるガッカリ度合い!
騙されて開けてしまった自分の不明!
もうほんとに、こんなブログに書いちゃうほどにムカついてしまう封筒DM。
そんな勘違いを期待したDMを送ってくるような会社に、何かのサービスを頼むだろうか?
はなから「騙し」の要素が折り込まれているDMを見て、良い気分になる人がいるとでも思っているのだろうか。
人を不愉快にするこの封筒DMは、DMの送り主そのものをも貶めかねない。
この手法に騙された人は、送り主の会社を嫌うことはあっても好きになることはない。
これは、ただのDMを受け取った時の反応とは違う。
ただのペラ一枚のDMは、無視するという結果しか生み出さないが、封筒DMの場合は僕のような送り主に対する敵意というマイナスを生み出してしまう。
封筒DMによって、得する人は全く発生しないはずだ。
DMはDMらしくこれまで通り、見向きもされずにゴミ箱へ叩き捨てられるだけの存在として、君臨しておけば良いと思う。
いつになったら、紙と労力の無駄とゴミ箱を賑やかにするだけの存在であるDMというものがなくなるのだろうか。
「必要な無駄」であることの要素を全く発見できないDMという存在。
それに気付かないのは、もちろん僕が不明なだけであるのは間違いないが、あったとしても恐ろしく少ないであろうし、無いことによってもたらされるメリットのほうが大きいと僕は思う。
というわけで、封筒DMを送るのは、全くもってマイナスしか生み出さない所業であるということがご理解いただけたであろうと思う。
このブログを見た封筒DMを送っている人は(送ろうとしている人も)、くれぐれも自重していただきたい。
よろしく!

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