自然と人工の違いはあるのか? vol4自然はみんな好きなはずである!

自然と人工の違いはあるのか?
vol4自然はみんな好きなはずである!
『なぜ僕は
「人は皆、自然が好きなはずだし
人工物が好きな人よりも自然が好きな人の方が多いはずだ」
と自信を持って言えるのか。』
ここから今回は考えていきたい。
なんで人は自然が好きだと思うんだろう?
僕が自然を好きなのは間違いないことなんだけど、さすがに自分が好きだから人類も好きなはずだ!とまでは想像を膨らませることはしない。
でも、人は基本的に自然が好きだと思う。
これは、先祖が自然で「うきー」って言いながら暮らしていたことと、無関係ではないはずだ。
最近の社会的風潮として、田舎への回帰が始まっている。
田舎で自然とともに暮らして、畑で自給自足しながら、暮らして行こうという試みが流行りになりつつある。
田舎が実家の人ならそう思って田舎に帰ることは想像に難しくないけど、生まれてからずっと都会に暮らしていた人が田舎での生活を始めたりしている。
これができるのは、自然の中で暮らすということが、うきーって言っていた頃からそもそも自然なことであったので、その自然に帰ることには、根本的な大きな障壁は無い、ということなのだろう。
だから、自然が好きという感情は、その自然によって生かされてきていた(今もそうだが)ということがあるので、人は自然のことを最終的には好きという感情を持っていることは間違いないことだし、いざとなったら自然に帰れば生きていくことはできる。
だから、自然はみんな好きなはずだ。
だからといって、人工が嫌いという風になるのは、短絡的すぎる。
安藤忠雄の建築物は好きだし、大阪城も大好きだ。
人工的なもので、他にもいっぱいすきなものはある。
だけど人工のもので好きなものはたくさんあるが、嫌いなものもたくさんある。
僕に合わない帽子や、排気ガスを撒き散らす大きな車。
景観をぶち壊す建物や、熱風を顔にぶちまけてくる熱い室外機等々。
ほんとに嫌なものは嫌だ。
何かのために作られたものは、その対象から自分が外れれば外れるほど、合わないものとなる。
それが勝手に自分へ迫ってくると途端に嫌いになる。
こういうことがあるから、人工物というものは、好きになれないのだろう。
対して自然はどうなのか。
自然は誰に向けて作られるのような恣意性というものがない。
自然は自然の仕組みに沿って忠実に動き、それぞれの生物が生きようとしているだけだ。
だから、自然はその自然の仕組みが人間に牙を向かない限りは、恣意的なものがない自然なカタチとなっているんだろう。
だがここで疑問が湧いた。
「自然が恣意的でない自然なカタチだからといって、それが好きになったりする理由にはならないのではないか?」
恣意的でない=自然=関係ない
という流れもあり得る。
というかそれが普通だろう。
しかしそうはならずに
恣意的でない=自然=好き
となる理由は何なのか。
要は、自分に関係のある自然と、関係のない自然の違いはどこにあるのか?
ということか。
またまた、次回へ持ち越しとなる。
それでは。

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