「好」という北京語の魔力

好 (ハオ」という言葉にまつわる完全に独断と偏見に基づいた僕のイメージを語ろうと思う。

もしかしたら言葉の意味的に間違っているかもしれないし、とんちんかんぷんなことを言ってるかもしれない。
けれども独断と偏見で私見を述べてみる。

僕は、浅田次郎著の蒼穹の昴や中原の虹といった小説を読んで、中国語の美しさというものを知ることとなった。しかもこの小説がきっかけになって中国北京へ旅行にまで行った。
この浅田次郎によれば、北京語は世界で一番美しい響きを持つ言葉という紹介をしている。
(確かに、カラオケで中国人の女の子が歌う中国の歌はとても美しかった。)

この小説の登場人物達は、そんな美しい響きのある北京語を要所要所で駆使して物語に彩りを加えている。

そして彼らが話す中でも僕が一番好きなのは「好」という言葉だ。
この言葉は「そのとおり」とか「いいよ」といった意味で使われていることが多いが、これが持つ意味合いは、そのシーンの状況と語気(言葉の勢い)によってさまざまに変わっていく。

「好」ということばを一番近い日本語に当てはめるとするならば、「はい」になると思うけど、その印象は全然違う。
「好」には、日本語の「はい」にある肯定の意味に加えて「よくやった」とか「すごい」という感嘆意味も場合によっては含むことがある。

蒼穹の昴の続編にあたる中原の虹の主人公格である張作霖は
「好打!」(ハオタ)「よくあたった」
というセリフをよく言う。
この「好打!」という短い言葉によって、シーンに動きと快活さが生まれて
青空の下で黒ひげに包まれた筋骨隆々たる馬賊の男が大きなモーゼルを構え撃ち、持ち前の射撃の腕前を周囲に見せつけてみんなが快哉を叫ぶシーンが、速度をもって爽やかに蘇ってくる。
このシーンを仮に日本語で「よくやった!命中だ!」などと表現しても、この躍動的な情景までもイメージすることは難しい。
これは、
「好打!」という短くてキレの良い言葉の力強さがあればこそ造られるイメージなのだろう。
これに似た言葉を日本語で無理矢理探してみると「すげぇ!」、「おお!」とかになるだろうか。
しかしいずれも感嘆詞であり、その語に含む意味量は少なく、心には訴えかけてくることはない。
日本語で短くキレのある「好打!」のような言葉はおそらく存在しないだろう。
日本語では難しいような表現を、この北京語では表現している。

僕は中国語特有?の、短い言葉にたくさんの意味を込める(漢字が主体であるからだろう)言葉のカタチがすごい気持ち良く思う。
たぶん、中華という広々とした大地の上に生まれた言葉だからのように思うが、いつか張作霖が話中で表現してたような生の北京語を、広い大地の上で聞いてみたい。
『好!」

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