たまに僕は人に「良い人ですよね~」とか言われることがある。
別に悪い気分じゃないんだけど、そもそも自分はその人が思っているほど良い人なのか?
ということに疑問を感じていた。
今回はこの点について考えてみようと思う。
自分のための良い人
そもそも、自分が「良い人」でいようと努力しているのは良い人だからではない。
悪い人でいるより良い人でいる方が自分にとって良いことが多いからに過ぎない。
だから僕はその人のことを一番に考えて「良い人」を演じているのではなく
自分のために「良い人」になっているのだ。
その理由として、「正義は勝つ!」のような考え方があって、
自分も正しくて良いことをしている方が気持ちが良いし、
人に良く思われることで無用な争いを避けることができるし、
何か困った時に良くした人が助けてくれるかもしれない。
だから「良い人」でいる方が、自分にとって明らかにメリットがある。
ただ単に自分にとってプラスかマイナスかをドライに選択した結果の「良い人」だ。
これではかなり自己中心的な人間だと誤解(正解?)されてしまいかねないので、良い人の定義について再確認する好材料を見つけた。
進撃の巨人での良い人論争
進撃の巨人 第23話「微笑み ――ストヘス区急襲①――」
アルミンがアニにエレンを逃がすことへの協力を依頼しているシーン。
一度断るもこのままだとエレンが殺されると聞いて立ち止まるアニに懇願するアルミン。
「そんなに私がイイ人に見える?」アニ
「自分にとって都合のイイ人の事をそう呼んでいるだけの様な気がするから」アルミン
「アニがこの話に乗ってくれなかったら、アニは僕にとって悪い人になるね」アルミン
この良い人論争で面白かったのは「自分にとって都合の良い人のことを良い人と呼んでいるだけ」ということ
この事は、自分にとって良い人は誰かにとっては悪い人になりうるということを示している。
例えば、仮面ライダーがショッカーを倒すことは人間としては正義で良い事になるけど、ショッカーの帰りを待つ家族にとってみれば、悪魔のような悪い事になってしまう。
一面から見れば良い事になっても、多面的に捉えると悪い事になってしまうということだ。
だから良い人というのは、私にとって(あなたにとって)だけの良い人であるということだ。
良い人の期待値と実際とのズレ
さて、良い人という概念そのものが自己中心的な考え方だということに気づたところで、話を進めようと思う。
以上のように自分は結果的に「良い人になろう」という選択をしているに過ぎないんだけれども、他人が自分に対して下す「良い人」という期待感のようなものとのズレが生じてしまっている気がした。
このまま誤解をさせていてもいいのか?
ちょっと立ち止まって考えてみよう。
そもそも
「あなたは良い人ですね」
と人が言う時の意図は、本当のところ何なのだろうか?
まず、僕が人に対して
「あなたは良い人ですね」
と言う時の自分の意図を考えて見ると、概ね二つあった。
1、良い人だということへの感嘆
2、この先も良い人でいてくださいという抑制
僕は人に対して「あなたは良い人ですね」って滅多に言わないから少し苦労したけど、こんなもんだろうと思う。
想像より良い人だった
1はただの誉め言葉を伝える意図しかないように受け取れるが、実際には当初感じていた「あなた」に上下の振れ幅があるが故に、良い人だ!という感嘆が生まれている。
要するに、元々は良い人だと思っていなかったけど、話してみると想像より良い人だったということを感じたからの言葉ということになる。
悪い人になってほしくないという希望
そして2の意味は
「あなたは良い人だけれども、もしかしたら良い人じゃなくなってしまう不安要素がある。だから良い人レッテルを貼り付けることで良い人じゃなくなるのを抑制したい」
という感じだ。
要するに、少し危なげな人に対して
「あなたは良い人ですね」
と言っておくことで、自分の前ではこのまま良い人(無害な人)のままでいてね、ということを求める時に使う言葉でもある。
だからわざわざ「あなたは良い人ですね」と伝えるということは、逆に警戒の現れでもあると言ってもいいかもしれない。
ということは、「あなたは良い人ですね」と言われた自分というのは、本来の意味での良い人ではないということになる!!
警戒すべき人から普通の人(もしくは少し良い人)になっただけに過ぎない。
よって、人から言われた良い人は、本来の意味(良い人という言葉から想像できる良い人像)での良い人ではない可能性が高い。
要するに僕が使う良い人は、あんまり良くなかった人から少し普通の人になった人に対して使う言葉ということになる。
もちろん、この意見は自分の考えなので、そういう意味で「良い人ですね」を使っていない場合もたくさんあるとは思う。
しかし僕の使い方を抜きにしても「良い人ですね」という言葉は
自分にとっても良い人であるという自己中心的な考えを含んでいるので、あまり良い言葉ではないかもしれない。
おしまい。