2年前の選挙を機に「投票しない」ということを公言して実行してきました。
「若者が投票しないせいで若者向けの政策が行えない」のは未来の責任を転嫁する方便
理由は上記の通りブログに書いた通りですが、要点をまとめますと、
1、若者が投票数でお年寄りに勝つのはほぼ不可能である。
2、「若者が投票しないからお年寄り向けの政策になる」というロジックは、政治が票を稼ぐために行われているという間違った行いを正当化しているだけだ。
3、投票しない(白紙投票もしない)ことによって、若者とお年寄りとの戦いで、常に若者が負けざるを得ない状況が固定化されている今の政治のあり方全てに疑問を投げかけてやろう。
4、「投票した俺は官軍で投票しないやつは非国民」という風潮に疑問。投票すればよしというのはおかしい気がする。
5、投票しないことも立派な意思表示であり広義の政治参加になりうる。
というような考えのもとで、「投票しないという意思表示」をしていました。
それでも今回は、「投票しないという意思表示」を捨てて、投票することにしました。
二つ理由があります。
「知り合いの僕より若い人が政治家の卵として身体を張っているから応援したい」
が一つ目です。「知り合いだから投票する」というのは日本のことと何ら関係がありません。それでも多分投票する人のほとんどの人は、「駅前で挨拶しているのをよく見かける」「知り合いだから」「頼まれて」「組合の方針」といった理由で投票しているのでしょう。要するに自分の利益に少しでもなりそうな人に投票しているだけです。その姿勢は本当に日本のことを考えていると言えるのでしょうか?自分の利益のために投票することが「正しい事」と言えるのでしょうか?
二つ目は、解散を決めた自民党の茶番につき合ってみようということです。茶番というのは、今回の解散は大義もへったくれもない、ただの自民党の長期政権化処置でしかないことは明白なのに、それでも自民党の圧勝の空気がそこそこに満ちている上に、自民党以外に日本の運営を任せれる人がいないという明白な現実に対して、それならばいっそのこと政権与党の背中を押してあげる方が面白そう、ということです。
これは、かつてイラク戦争に突き進んでいくアメリカの背中を押すことで、長期的なアメリカへの不利益を生み出した、日本政府の心境と似たようなものかもしれません。なんだか健全ではないですね。まったく嫌になってしまいます。
すんなり投票をすればここまで考えることもなく、大手を振って外を歩けるでしょうに、なんでここまでねじくれてしまったのでしょうか。
それはわかりませんが、とりあえず今回は投票しておこうと思います。
おわり。