自由意志に根拠がないから縁は大切にしよう

昨日のブログ
「縁などというものに根拠は何もねぇ!仏教のお坊さんが縁という概念がある方が人間関係はうまくいくよね☆的な考え方で縁という概念は作られたものに過ぎない」
という意見を書いたが、間違っているかもしれないということに気づいた。
本題に入る前に、メインテーマである自由意志について確認しておく。

自由意志

自由意志とは、我々人間は自由な意志で持って人生の行動や思考を自由に選択しているという考え方だ。
そして普通の人はみんな、自分は自由意志によって何事も判断していると思っているはずだ。
今日食べるご飯も自由に決めることが出来るし、お出かけする時に着るお洋服も自分で自由に決めている。
これを自由意志という。

自由意志は存在しない?

しかし、残念ながら人間は自由意志で物事を決断していない可能性があるらしい。 何故かというと、物質の動きはどこかの時点で、この世に存在する全ての物質の情報が揃えば、そこから先に挙動していく全ての行動変化は予測出来るからだ。

物質の挙動はデータで全て予測できる

地球の気象変化も、あらゆる地球のデータをスーパーコンピューターに詰め込み計算すれば、未来の地球の気象状況がわかるといった考え方で開発がすすめられているものがる。
これと同じように、宇宙の誕生時点でのあらゆるデータをパソコンに詰め込むことができれば、そこから先に宇宙で起こりうる全ての事象が予測できるということになる。
ということは、われわれ人間の行動も全て宇宙が生まれた時から定まっていることになる。
そこに自由意志などというものは存在しない。

生命体の行動は予測できるのか

ただこの議論はまだ決着がついていない。
物質の行動はわかったとしても、生命の行動まで予測することが本当に可能なのかというところには、まだまだ疑問点がある。

生命のブラックボックスはあるのか

僕は物質が集まって生命になる時になんらかのランダム要素があると思っている。
そしてその生命が意識を持った段階でさらにランダム要素が拡大する。
根拠もへったくれもないが、生命という物質が複数集まって生命として起動した瞬間に「計算だけではわからない何か」があって欲しい。
その何かこそが、自分たちは自由意志によって生きている生命体なのだ!という根拠になる。
逆に自由意志が無いとすれば、生きる気力がなくなってしまうではないか。自分が死ぬまでの人生は全て一つのレールに沿ってでしか動かないなどということがわかってしまうと、自分の人生を切り開いていこうといった気力が湧いてこない気がする。

自由意志が存在しない世界

しかし残念ながら現時点では「自由意志は存在しない」という論の方が強いようだ。
このまま人間が生命を創造できるようになって、生命のブラックボックスも暴けてしまうとすれば、自由意志の有無がはっきりしてしまうだろう。
自由意志が存在しないということが判明してしまったら、人間の根本的なところが崩れてしまいそうな恐ろしさを感じる。

日本人は大丈夫

でも少なくとも日本人は大丈夫だろう。
その理由は縁という言葉にある。
縁という言葉は巷にありふれているが、この考え方が仏教からきていることを知ってる人は少ない。
ということは、この仏教を代表する日本に古くからある考え方が、日本人の血肉として生きているということになる。
だから理論的に自由意志が存在しないとしても、日本人は日本人独自の文化的な考え方によってその衝撃を和らげて、新たな答えを発見するはずだ。
計算だけで全てがわかる世界などくそくらえだというふうに、縁をはじめとするその非合理的な考え方がその無機質な世界を吹き飛ばしてくれるに違いない。
おしまい。

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