岳飛伝一巻がつまらなくて良い理由

水滸伝・楊令伝に続いて、岳飛伝が発売された。
予想通り(?)、一巻は面白くなかった。
一巻での登場人物はみんな、楊令伝最後の大戦、梁山泊と金と南宋との三つ巴の戦いを終え、燃え尽きた感を漂わせている。
経済力武力共に無敵を誇った梁山泊も、最後は1000年に一度の大洪水という自然災害にやられてしまった。
なんだか、深い闇の中を彷徨う亡霊達のような歯切れの悪さが、一巻にはあった。
でも、僕はそれでいいと思う。
前作の楊令伝は、主人公の楊令が深い闇を背負い、今までの中華のどの覇者も描けなかった「民のための国」という理想に向けて魂を熱く燃やしていた。
その楊令という男を中心にして、梁山泊・金・南宋の男たちをも巻き込んで、完全たる物語の主人公として輝いていた。
その大きな輝きを発していた主人公の楊令がいなくなった後の世界が、魅力的になるはずがない。
楊令という指導者がいなくなったことによる欠乏感と不安を抱えつつ、英雄たちは自らの行動を自分で考え決定していかなくてはならない。
そういう闇の中にいる状態の物語が、歴史小説に求められる躍動感、(僕が求めているだけかもしんない)を持つことは無いはずだ。
楊令伝の一巻も同じで、梁山泊が宋禁軍総帥の童貫に落とされ、梁山泊頭領の宋江がいなくなった後の世界を描いていた。
皆その時も、残党狩りにあったり流浪の軍としてさまよったりと、深い闇と向き合いながら自分の生きる道を模索しつつそれぞれが戦っていた。
しかし巻を追うにつれ、楊令が新しい頭領になることで志を得た英雄たちは、闇を通り抜け始める。
闇を経た分、その輝きもまた大きい。
前作の水滸伝に増して、その英雄たちは楊令伝の中で生き生きと大きく飛躍していた。
たぶん、岳飛伝もそうなる。
頭領の楊令を失いまた深い闇へ叩き込まれた英雄たち。
いまいちど、闇を抜けてくれると思う。
そして、さらに大きく飛翔していってくれるに違いない。
その中心はもちろん岳飛になるだろうし、その資格もあると思う。
岳飛は一巻で、楊令に全く歯が立たなかったことに対して、転げ回りながら屈辱感をかみしめている。
一巻の「つまらなさ」があるからこその飛躍。
だから、一巻は面白くなくていいのだ。
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