「モンゴルも昔は中国だったよ」と笑顔で言う中国人の中華思想

今日、リアルウォンテッドリーのイベント

【イベント概要】※イベント日時 9/28(水) 18:30-21:00 (途中入出場可です。)※イベント場所 freee株式会社※エンジニア・デザイナー向けイベントです!エンジニア... powered by Peatix : More than a ticket.
に行ってきた。

その会場で、ある会社で営業企画をしている若い中国人女性とモンゴルについて話していると、
「モンゴルは昔は中国だったよ(^^)」と笑顔で言うのである。

「元だったかな(^^)」
天真爛漫な笑顔で、モンゴルは中国だったから私達の仲間よ(^^)という意味でいいたかったのだと思う。

僕はとっさに「元はモンゴルだ。中国ではない」と注意しようかと思ったが、悪気はなさそうでもあり、もしやこれが中国人の自然な考え方であり中華思想の根本ではないのかと、思いを巡らせてみた。

中華思想とは、玉座にいる中華皇帝のいるところが文化的なレベルが一番高いところになり、そこから離れれば離れるほど文化レベルが落ちていき、果ては禽獣のような人が住んでいるとする考え方である。
その中華皇帝の座を巡って中華の国々が(周辺の蛮族も含む)中原に鹿を追い、新たな中華皇帝となる。皇帝になる人がモンゴル人であっても満州人であっても皆、中華の皇帝とみなされて、いわゆる「中国の一員」になることが、中華思想だ。

かつて秀吉が朝鮮に出兵した際、時の中華帝国である明と戦ったが、もしかしたら中華の端に位置する日本人として、秀吉も中原に鹿を追いたかったのかもしれない。
強大な武力を持てば中華皇帝を目指すという中華思想からすれば当然の行いを履行しようとしたまでではないだろうか。

そこから考えると中国人が「モンゴルも昔は中国だったよ(^^)」と言ったのもわからなくはない。
中華圏の人々にとって、中華に住む以上中華皇帝を目指すのは当たり前のことであり、中華皇帝になれば晴れて中国で一番優れた文明の国家になり、それが「中国」になるのだろう。

しかしこれを認めるのは今の中国人だけだろう。中国以外の人は皆、認めるはずがない。

中国人にとっては当たり前だと思っているが、周辺国の人にとっては当たり前ではないこの考え方が主流(?)になっていることこそが、中華思想を中華思想たらしめている原因でもあるのではないだろうか。

それにしても、あの中国人の女の子かわいかったな〜

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