昨日はお風呂に入った。
そしてお湯いれに失敗。
そしてかなりぬるくなった。
そこでひらめいたことについて。
そのお風呂は、ぬるいというかなんというか、冷たくはないけど、温かさも感じないような。
体温とちょうど同じ温度だったのだろうか、お湯につかっていることすら忘れるような、ちょうどぴったり自分と同じ体温になっていた。
浴槽に入ってじっとしていると、お湯の存在がわからなくなる。
時間が経つと、まるで無風の空間に裸で座っているような錯覚に陥った。
実際には身体に水が触れているはずなのに、感覚では触れていない。
感覚としては周囲に全く水というものが存在していない状態だ。
ここで、お?っと思った。
これは
「空気が普段は意識に感知しないことと同じ状態ではないか?」
と。
ということは、そこに在るはずのもの(お湯)が感覚に触れないことがあり得るという体験をもって、目に見えない何か(空気)というものが存在するかもしれないという仮説に到達することができるのではないか?
と思った。
だがしかし。
これは「空気」を既に知っているからそう思えるだけなんじゃないの?
という問題が発生する。
空気を知らずして、このような類推をすることは可能なのか?
この問題について検証していこう。
僕はこれは可能である、と言いたい。
すこし視点を変えてみよう。
宇宙のことを考えてみる。
宇宙空間は真空である。
そこには「何もない」ことになっている。
だがしかし、空気という目に見えないような物質があるということを知っている我々が考えると、
「真空の宇宙空間には、眼に見えない何かの物質があるんじゃないのか?」
という仮説を建てることは容易いはずだ。
実際にダークマターという言葉もある。
だから、観測しても何もないけども、何か我々にはまだ見ることの出来ない物質が存在するかもしれないという類推に至ることは現代では可能である。
もちろん、こういう風に考えれるのは、目に見えない物質があるという存在を我々が認知した瞬間から可能になるはずだ。
ということは、肉眼では見えないもの(ウイルスや紫外線とか)のような何かがあるんじゃないかと思った段階から、他にも肉眼で見えていないところでも何かが存在するかもしれないと考えることは出来る。
これによって、空気という存在を知らない状態で、水を体感出来ないという体験から、何もない空間に何かが(空気)存在するかもしれないと類推することは可能であると言える。
ということは、僕が肉眼で見えない物質があるということを知っていさえすれば、空気という存在を知ることなしに、空気の存在を想像することが出来るということになるだろう。
肉眼で見えないものがあるということを知っていることが条件だけど、空気を知らない状態でも空気の存在を想像することはできるということだ!
ふー、すっきり。