こんなにも面白い歴史上の名勝負が
マニアックな本で難しくでしか紹介されていないのはもったいない!!
わかり易く解説すればみんなに興味を持ってもらえるはず
そして楽しんでもらえると思い作成しました。
絵で見る戦いの軌跡シリーズ!!
三方が原の戦い
図の見方
赤が信玄
緑が家康
京都への上洛を目指す信玄軍2万7千人に対して、1万ちょっとの家康軍が、
なぜ無謀ともとれる戦いを挑んだのか。
素人でも負けるとわかる戦いを挑むに至った理由、これを重点的に説明していきたいと思います。
甲斐の国から京都めがけて進軍する武田信玄。
途上には、信長の支援を受けた徳川家康がいました。
精鋭で2倍近い数の信玄に対抗するために、家康は城に籠ることをを選びます。
城で守ることで、時間を稼ぎ信長の来援を期待します。
しかし、時間のかかる城攻めを避けたい信玄は家康を無視して、城の前を素通りします。
信玄は浜松城に背中を見せながら、家康の部下が守る城めがけて進みます。
家康家臣団は、信玄に自分達の存在を無視されたことに憤り
家康に出陣しましょう!!とつめかけます。
そこは冷静な家康。考えました。
自分が城に籠ったままで、家臣が守る城を見殺しにすれば
家臣団の忠誠もゆらぐに違いない。
信玄は倍する兵力だけど、今追いかければ三方が原を下っている途中のはずだ。
そこへ背後から襲いかかれば、さすがの信玄もひとたまりもないだろう。。。
どのみちこのまま出陣しなければ、家臣を見殺しにする主君と見られ
三河武士の団結も瓦解するだろう。
家康には出陣する選択肢しか残されていませんでした。
そこへ背後を見せて油断してる信玄に対し、
突撃することでわずかな勝機をみいだしたのでした。
坂を下る途中を攻める
家康は出陣を決心します。
今まで信玄から逃げ回ってきた家臣団も、ついに反撃の機会を得て
いきまいて出陣していきます。
まさに天を突かんばかりの士気だったでしょう。
その時、家康出陣の知らせを受けて
信玄はしめた!
と思ったに違いありません。
坂を下っていることをチャンスととらえて
家康は攻めてくるに違いないと考えていたのです。
当初は、信玄最後尾の部隊に対して家康は包囲することにより、戦いを有利に戦いを進めます。
しかし、信玄はかねての打ち合わせ通りに部隊を反転させ
家康を逆包囲します。
信玄最後尾部隊が敗走し、つられて中央に突っ込んできた家康を
信玄は、からめとるような形に陣形をもっていきます。
そして、家康の主力が壊滅し、家康本人も命からがら浜松城に逃げ帰りました。
馬の鞍には失禁した後も残されていたと言います。。。。
それぐらい完全にやられたということでしょう。
その時の家康の肖像画が残っています。
この敗戦を忘れないように、負けた直後の姿を画家に書かせたと伝えられています。
完